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言葉のことばかり【果てしない】

欲望

『もう何十年かあとに生まれていれば』
って思うことがあるんですよ。

そしたら、ひょっとして
『宇宙の外側に何があるか』
わかったかもしれないじゃないですか。

…酔っ払ってくると出てくる
典型的な話題である。

冷静に考えれば、
その「何十年かあと」に
謎が解明される保証はどこにもないし、
(たぶん「何十年」レベルではムリ)

その「何十年かあと」に生まれていても、
やはり「もう何十年あとに生まれていれば」
と思ったのではないかと思う。

ただ、この気持ちはよく理解できる。
いま自分が知らないことを、
後に生まれた人が知ることができるのが
ちょっとくやしいんである。

しかし、逆に言うと
自分より何十年か「前」に
生まれた人が知らなかったことを
自分が知っている…ってこともあるわけで、

…ま、言ってみれば
「いつ生まれてもおんなじ」なんである。

百歩譲って何十年後に
宇宙の外側に何があるか、わかったとしよう。
そしたらたぶん、こう思うんだよね。

「そのまた外側には何があるんだろう」

人間の欲望は(宇宙とおなじくらい)
果てしないんである。

果て

宇宙の果てがどうなっているのか。

それがわからないのは、
宇宙の先の先が見えないからである。

すっごい望遠鏡を使ったとしても、
先の先にかすかに見える星から届いた光の、
その光が放たれたのは、
もう何年も前ってことになる。

いや、何年どころではないのかもしれない。
何十年、何百年、それ以上か…。

ということは、今現在、
その星がどうなっているのかは、
わかんないということだ。

もしかしたら、
もうなくなってしまっている可能性もある。
つまり、今見ているその星は、
その星の「過去」なんである。

つまり距離とは時間だったりする。
つまりもっと遠くのことを知ろうとするには
時間を縮めるしかないのだ。

つまり、今、遠くに見える星の
「今」を見るためには、
その星の「未来」を見なければならない
…ということになる。

さあ、ほとんど何がなんだか
わかんなくなってきたが、
実際に見ることができないんだとすると、
予想するしかない。

昔、見たわけでもないのに
「地球は丸い」って
言った人がいるくらいだから、
考えればわかる…のかもしれない。
ひょっとして、宇宙も丸かったりしてね。

「果て」という言葉に「果」を使うの
ちょっと不思議な感じもする。

「果」は果実の果で、木の実のことだよね。
そうか。植物の最終形態ってことか。
なれの果てとか言うけど
まあ行き着く先、ってことですね。

なんか「その先がない」ってイメージだけど
果実はその先も繋がってるのにな。
果ての先、実は無限だったりする。

無限

「むげん」と書いて変換するとって出た。
ゴールとスタートをつなげると
∞になるもんね。

宇宙の果てはどうなっているのか。

わかってみると
けっこう「なーんだ」という
答えのような気がする。

まあ、生きてるうちには
わかんないんだろうけど。

もう何十年かあとに生まれたら…
やっぱりそういう気にもなりますよね。

そしたらまた新しい疑問が生まれて、

結局、
人間の欲望は(宇宙とおなじくらい)
果てしないんである。

次回の言葉は「普通電車」です。


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