浪人の一年間は本当に貴重な一年間だった
先週、浪人時代の予備校の先生の言葉をnoteに書いたこともあって、ちょっと「思い出しモード」になっている。
ボクは大学受験を失敗し、浪人した。
そして、この浪人の1年間があったことに、本当に感謝している。
もちろん、翌年、曲がりなりにも志望校のひとつに受かったから言えることではある。結果論だ。でも、結果論とはいえ、とても感謝している。
なにをって?
「ちゃんと自分と向き合って努力する時間を持てたこと」を。
思い返せば、あの浪人の時期、ボクは初めて「自分と向き合うこと」を知り、初めて「ちゃんと努力すること」を学んだ。
もちろん、現役高校生時代の勉強でも、部活でも、友人関係でも、それなりに自分に向き合い、努力はしたとは思う。
でも、浪人してからの切実感とは比べ物にならない。
なにより「人生背水の陣」という真剣勝負感が全然違う。
浪人生は文字通り脱藩状態だ。
高校生でも大学生でもない。
ひ弱な「個」としていきなり世間の風に吹きっさらされる。
そして、環境が変わり友達も激減する。
親友たちも現役で大学に受かったりすると急に疎遠になる。
だから否が応でも「自分と向き合わさせられる」。
自分ってなんだろう。この人生をどうしたいんだろう。
高校という組織に所属していたときは楽だった。
言われたことをやっていればよかった。温室に守られて文句だけ言っていれば良かった。
でも、所属がなくなった途端、ひ弱でやせっぽちで何者でもない自分に気づくのである。
だから、毎晩のようにベッドの上で悶々と自分を省みることになる。
自分はなんて小さい存在なのか。
いったい何者になりたいのか。
この人生をどう生きていきたいのか。
自分の弱みも強みも含めて何度も咀嚼し反芻する。
そういう中で浮き彫りにされる「自分のダメな部分」や「弱い心」と闘い、克服しようとする。
なんか、毎晩、勉強の時間より、こうやって悶々と闘っている時間のほうが長かった気がするくらいだ。
それだけではない。
現役で大学に入って謳歌している友人たちに対する妬みとも闘う。
来年受かるかどうか全くわからない不安とも闘う。
ずっと受からなかったら自分の人生は一体どうなるのかという恐怖とも闘う。
こんなふうに真剣に自分と向き合う時間を持てる時期なんて、人生の中でなかなかないものだ。
だからだろう、浪人の1年間は、とにかく人間を成長させてくれた。
というか、翌年大学に入って、とてもびっくりしたのを今でもリアルに覚えている。
現役で入ってきた同級生たち(1歳年下)が、ずいぶん幼稚に感じられたのだ。その年齢差以上に。
まぁ仕方ない。
あっちはそういう悶々と悩んだ時期を経てないからね。
でも、それにしても、たった1年なのに、かなりの差がついていたと思う。
真剣に悩み向き合った1年間は、そのくらい人間成長を後押ししてくれたのだ。
ボクは今でもときどきヒヤッとする。
あの超甘ちゃんだった自分が、もし浪人もせずに現役で大学入って、ちゃらちゃらのほほんと大学生活を送って就活し、適当な会社に入っていたらどうなったか。
自分に向き合う機会を一度も持たずに社会に出ていたらどうなっていたか。
想像するだに恐ろしい。
通った予備校(駿台)でかけがえのない先生に何人も出会えたのも大きかったなと思う。
たかが予備校の教師とか思う人もいるかもしれない。
でも、彼らは「自分と向き合っている真剣勝負の浪人生」を前にして毎時間毎時間、命をすり減らして授業をする。
現役クラスとは全然違う切迫感。
奇跡の授業がいくつもあった。
そんな体験も含めて、本当に貴重な1年間であった。
ちなみにボクの場合、その浪人の1年間で難病も患った。
厚生省(当時)指定の難病。
予備校と病院と家をぐるぐる回って生きていた。
劇薬を服用していたので、常に眠たかった。
つまり、病気との闘いと治らないかもしれない不安までがそこに加わったのだが、まぁそれはまた別のお話。
(ちなみに、その難病は大学に入って治った。誤診だったのではないか、つまり難病ではなく、普通の病気だったのではないか、と、今では疑っている)
ちなみのちなみに。
受験の本番を控えている方々、およびその親御さんたちに「浪人」を勧めているわけではまったくない。
言いたいことは、つまり、人生に無駄な回り道などひとつもない、ということである。
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