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安西水丸さんに挿絵を描いてもらった1年間


昨日こんなnoteを書いた。

村上春樹から始まって、サマセット・モームに行き、最後は森鴎外に行き着いた短いエッセイ。



で、今日も、村上春樹から始まる話である。
『1973年のピンボール』を再読してて、ふと思い出したこと。


村上春樹は、ずっと主人公に名前をつけなかった。

たぶん初期は三人称で書くのが不得意だったのだと思う。
短編も長編も「僕」という一人称で通して行く。

その村上春樹が、主人公に名前をつけたのは、「ワタナベノボル」という名前が(たぶん)初めてだ。

ちゃんと調べたわけではないが、『パン屋再襲撃』という1985年に出した短編集からだと思う。この中の4編でいきなりワタナベノボルが活躍をする。

なんでワタナベノボルなのだろう、と、当時のファンたちはみんな思った。

村上春樹のことだから、何か深い意味がここに込められているのだろう、とも思った。

なにせ、ほぼずっと「僕」だったのだからして。
(ボクが知る限り、だけど)(ちゃんと全部調べ直したら違うかもしれないけど)。


でも、後年、これには「特に意味がない」ことが著者から明かされる。

なんと、『パン屋再襲撃』でワタナベノボルを登場させる2年前に『象工場のハッピーエンド』という本で挿絵を担当したイラストレーター、安西水丸さんの本名、渡辺昇から取った名前だったのである。

村上春樹自身も、特に意味はないが、この名前を得たことでホッとした、と、どこかで書いてた。

きっと、あまりに「僕」で引っ張りすぎて、三人称の主人公の名前が意味を持ちそうでプレッシャーだったのだろうと思う。

ふと、親しい水丸さんの本名をもらって、さらっと短編を書けて、本当にホッとした、ということなのだとボクは想像している。


その後、ワタナベ・ノボルは、ワタナベ・トオル(『ノルウェイの森』の主人公)とか、ワタヤ・ノボル(『ねじまき鳥クロニクル』の妻の兄)とかに変化していったりする。

※『ねじまき鳥クロニクル』の元となる短編『ねじまき鳥と火曜日の女たち』では、猫の名前は「ワタナベ・ノボル」だった。その後、『ねじまき鳥クロニクル』の中では、猫の名前は「ワタヤ・ノボル」に変わっている。


使い回すなぁ、村上春樹。
でも、2014年に安西水丸さんが亡くなってからは、まだ使っていない(と思う)。

次にワタナベノボルが登場してくるときは、何かしらの「意味」が付与される気がするな。。。




さて、この話はもう少し続く。

個人的な話になるが、もう13年くらい前、2006年の1年間、雑誌「婦人画報」で連載を書いたのである。

そのとき、なんとボクの連載原稿に安西水丸さんが挿絵を描いてくださるという光栄に浴した。

いまでも覚えている。

連載が決まったあと、副編集長から「挿絵は水丸さんとかどうですかねえ」と言われた時の驚き。

いや、マジですか!?
ボクみたいな泡沫副業ライターにホントに描いてくれるんですか!?
 

だって、ある時期「水丸ブーム」と言ってもいい時代(たぶん1980年代)が確実にあったくらい有名な人だし、当時も村上春樹の挿絵を描いていたし。


「さとなおさんのこと、知ってるっておっしゃってましたよ」
「えーーーーーーーーー!!!」


そんなこんなでタイトル文字挿絵を描いてくださることが決まり、連載タイトルも「ごはんのはんりょ」に決まった。わりとすんなりコピーが出た。ライトな食べ物エッセイである。

「婦人画報」掲載までの流れはこうだ。

ボクが第一稿を書く。
それを編集部に送る。
水丸さんに送られ、それを水丸さんが読む。
で、その文章を元に彼が挿絵を描く。
同時並行でボクは最終稿を書き、入稿する。

で、毎回、初校時に、ボクは初めて水丸さんの挿絵を見ることになる。

あー、この文章に、こういう絵かー。
さすがだなー、うれしいなー、文章が倍くらい引き立つなぁ・・・

というか、あの水丸さんが、ボクの原稿を読んだ上で、ひと考えして、筆を動かしてくれるという光栄

しびれるなぁ・・・

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ボクは自然と、彼のために書くようになった。

だって、ボクの原稿の(編集者を除いた)第一番目の読者は安西水丸さんなのである

そりゃ彼のために書くでしょう。

彼に恥ずかしくないように。
彼がおもしろく思ってくれるように。
そして、彼が絵のインスピレーションが湧くように。


連載期間中、そんな1年をボクは送った。
毎月、毎月、安西水丸さんというひとりの読者のために、緊張して文章を書いた。

なんか、毎回、ラブレターを送るような気持ちで、送信ボタンをポチリと押した。
それは豊かで濃厚で、励ましてもらっているような12ヶ月だった。


そんなことを、ふと思い出したので、書いてみた。

もう水丸さんは亡くなってしまってあの世にいるのだけど、なんか今でもあの「お会いしたことはないけれど、つながっている感じ」をリアルに思い出せる。


なんて幸せな1年間だったんだろう。



古めの喫茶店(ただし禁煙)で文章を書くのが好きです。いただいたサポートは美味しいコーヒー代に使わせていただき、ゆっくりと文章を練りたいと思います。ありがとうございます。