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本当の自分を取り戻すには? 苦しみに悩まない人生の送りかた 「仏陀の真意」

私たちの苦しみの原因はどこにあるのか?
仏陀が教えてくれる方法とは?
心からの平和・本当の自分を取り戻すにはどうしたら?


「仏陀の真意」から学ぶ苦しみに悩まない人生の送りかた。

禁欲だけで、無量感にはたどりつけない。

仏陀は、王族の皇太子。

「ひとり息子、妻を捨て」

「王である父を捨て」

「継ぐべき王位を捨て」

「家臣を捨て」

「領民を捨て」

「宮殿を捨て」

「父の責任」

「夫の責任」

全てを捨てて、修行僧になることを選んだ人。


その仏陀の教えとは…

*仏陀・・
仏陀は矢を抜く最上の人。多くの人に矢を抜く方法をおしえ、苦と苦の滅をといた。


仏陀が説く人間の苦しみの根本原因は?


あらゆる苦しみの原因は、無明(知らないこと)であるということ。

無明とは、「四諦」を知らないこと。(「四諦」について、後述)
無明とは「苦」を知らないこと。

無明とは、生命の根源的な無知・迷い・癡[おろ]かさであり、一切の煩悩を生む根本とされる。

苦しみから逃れるためには、苦しみの原因を取り除くこと(滅諦)が必要で、苦しみの原因は、煩悩である。(「滅諦」についても、後述)

●十二縁起(因縁)


「すべての結果には、必ず原因がある」
苦しみの12の原因のことを「十二縁起」という。

1無明→2行→3識→4名色→5六処→6触
→7受→8愛→9取→10有→11生→12老死

  1. 無明(むみょう)
    過去世の無始の煩悩。煩悩の根本が無明なので代表名とした。明るくないこと。迷いの中にいること。

  2. 行(ぎょう)
    潜在的形成力、志向作用。物事がそのようになる力=業

  3. 識(しき) 
    識別作用。好き嫌い、選別、差別の元

  4. 名色(みょうしき)
     物質現象(肉体)と精神現象(心)。

  5. 六処(ろくしょ)
    六つの感受機能、感覚器官。

  6. 触(そく)
    六つの感覚器官に、それぞれの感受対象が触れること。外界との接触。

  7. 受(じゅ)
    感受作用。六処、触による感受。

  8. 愛(あい)
    渇愛、妄執。

  9. 取(しゅ)
    執着。

  10. 有(う)
    存在。生存。

  11. 生(しょう)
    生まれること。

  12. 老死(ろうし)
    老いと死。


■苦を取り除く心構えと考え方


「仏陀メソッド」

仏陀の理法を記憶し、心に留めて保持し、忘れずに繰り返し念ずる。

このことを「念」という。

人間は、思考、想念の激流に押し流されているから、心に留めて保持し忘れずに念じるためには、どうしてもいつも気づいておかなければならない。

*「念」とは記憶のこと

●四諦(しだい)の法

苦と、苦の生起と、苦の滅と、苦の滅に至る道。

苦諦
生きることは本質的に苦である。
人生は思い通りにならないことばかり。悩み多きもの。
人が生きるということは、苦を背負って日々を過ごすこと。

*「四苦八苦」とは・・

【四苦】
四苦八苦とは、人が生きる上で避けては通れない苦の種類を表す。
四苦とは「生老病死」。

【八苦】
愛別離苦(あいべつりく):愛する人と別れる苦しみ。
怨憎会苦(おんぞうえく):怨み、憎む人と出会う苦しみ。
求不得苦(ぐふとっく):求めるものが手に入らない苦しみ。
五陰盛苦(ごおんじょうく):人間の心身から生まれる苦しみ。


集諦
欲望・煩悩が人生の苦しみの元凶。
どんな苦しみもその原因は私たちの欲望。
愛する人を失った苦しみの原因さえも。

滅諦
煩悩を消すことで苦が滅する。

集諦で煩悩が原因だとわかれば、さらにその煩悩の生まれる原因を知って、それを解決すれば苦しみから解放される。
煩悩の生まれる原因は、この世には絶対に変えられないルール(=真理)を理解していないから。

*真理・・
諸行無常(しょぎょうむじょう):
この世の中で常であるものはなにもなく絶えず変化している
著者は・・無常とは変化ではない(諸行は変化するという)
無常とは「生ずれば滅する」と捉えている。
・諸法無我(しょほうむが):
本来、我(われ)となる主体はない


④道諦
煩悩をなくし、悟りを得るための八正道(正しい行動)を実践する。

つまり、
苦しみには原因があって、原因を解決すれば、苦しみはなくなる。

●八正道

1、正見(しょうけん)
正しいものの見方・考え方を持つこと
偏った見方(自己中心的な考えなど)で物事を見ないこと

2、正思惟(しょうしゆい)
怒りや憎しみ等の感情にとらわれず、正しい考え方で判断をすること
偏った考え方をせず善悪を正しく見極めること

3、正語(しょうご)
嘘や悪口、二枚舌は言わず、正しい言葉を発すること
正しい言葉遣いをすること

4、正業(しょうごう)
殺生や盗みなど道にそれたことはせず、正しく生きること
煩悩のままの行動を慎むこと

5、正命(しょうみょう)
規則正しい生活を送ること

6、正精進(しょうしょうじん)
正しい努力をすること
正しく善悪を見極め、善行する努力をするこ

7、正念(しょうねん)
正しい志、意識を持つこと

8、正定(しょうじょう)
正しい心の状態を保つこと
正しい禅定(座禅)を行うこと

まとめ

わたしたちは、肉体をもち、感覚を持つ。
肉体は生じた瞬間から滅に向かう。
老いて、衰弱して滅へ至る。

わたしたちは、中心をもってしまったために、
本来の無量感を失った。

中心をもったために、限定感がおき、欠乏感がおきた。
欠乏感は渇愛へ向かう。

例)
「海の上のピアニスト」
はじめから、海の上の生活しかしらなければ、
最高の生活だけれど、陸で過ごす快適さを知っているものは、
海の上が苦になる。

執着は精神を一点に固定させる。

肉体、感覚や記憶をもったが故に、
束縛されているのだけれど、それを束縛と感じるひとはまれ。

やりたいように自由にいきていると思っている。


けれど、無量なる境地を少しでも知ってしまうと、
五蘊(ごうん)の集まりが苦なのだということがわかってくる。

五蘊(ごうん)・・
物質的な部分と精神的な部分を計5つに細分化したもの。
色 → 物体

  • 受 → 感受

  • 想 → 表象

  • 行 → 意志

  • 識 → 認識

苦とはつまるところ無量感の毀損(きそん)である。

いつも激流に押し流されているのが人間の現状。

感覚を感受すると、記憶の束が即時に反応する。
記憶の反応が思考である。

思考が連想を呼び、次の刺激があるまでとめどない連想となって流れる。
(これが、永遠と続く)

激流とは、わたしたちの想念の流れのこと。


理法を念ずる、仏陀のとく理法を記憶し心にとめて
保持に繰り返し念じよう。

無量感を取り戻すために、
修行(四諦を知り、八正道を実践)をしよう。

とらわれから自己を解放しよう。
(「自らを島とせよ」仏陀)

補足:
自我の洞察、自我の成り立ちを洞察することなしには、
自我の滅はありえない。

『自我の滅とは、“私という中心がある”という思い込みを滅すること』

「私という中心がある」という思い込みを滅するには、自我がどのように出来上がったかを洞察する以外には不可能である。


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