大きな決断

最近日記というものをまるで書いていなかった。日記というものは書かないと日常が忙しく過ぎてしまって、そのとき何を思って何をしたのかということをうっかり忘れてしまいがちだ。でも今日(正確に言えば昨日)は。大きな決断をした日だったので記録として日記を残しておこうと思う。

最近はまるで人間関係がうまくいかず、ある人と大きなもめごとを起こしてしまった。私が人間関係が不器用なこともあるだろうし、未熟さが露呈した結果でもあるのだろう。

私は大学がミッション系だったことや、今でも親しくしている友人たちにクリスチャンの方が多いということもあり、聖書をたまに読んだり、クリスチャンの友人たちと聖書の分かち合いをしたりすることはままあった。また、ここ二ヶ月ほどは夫と夜寝る前に必ず神様にお祈りをして十字を切って寝ていた、という背景もある。

話を戻そう。人間関係がここまで拗れたのは久しぶりだったので、とある最近仲良くなったクリスチャンの友人のひとりに、「ちょっと悩んでいることがあって、聖書の読み合わせと分かち合いをしたいのですが」と頼んだところ、快諾してくれた。

「人間関係で悩んでいるんですが」と言うと、その友人はイザヤ書の13章を引用して、一緒に分かち合いをした。聖書の引用は省くが、「今一度主に立ち返りましょう」ということをその友人は話してくれた。私も、「すべては神の御心のままにという気持ちを忘れず、神様のみちびきがどんなものであろうとも、それを御心として受けいれようと思います」と話した。
話の終わりに彼女は、丁寧に私のために祈ってくれた。
「主なる神様、私の友人が今人間関係で悩みを抱えています。彼女の悩みが解決しますように、心からお祈りいたします」と。
私はホッとしたと同時に、ああ、主に立ち返ろう、主の御心に任せるということを心の底から実践しようと思った。そして、「洗礼を受けよう」という気持ちになった。

それからカトリック系のLINEグループに洗礼を受けたい旨を伝え、来週月曜日以降になんらか動きがあるようだ。
洗礼を受ける前に入門講座と呼ばれる勉強会のようなものに数回参加しなければいけないことがあり、すぐに洗礼を受けられるわけではないが、気持ちが固まったので、よかったと思う。

人間関係のもつれに関しても、私に非がある部分は往々にしてあり、それはどんな人間関係でも大体がそうであると思う。けれど、今回は、私の短所や欠点を見つめなおすいい機会を与えてもらったこと、洗礼を受けるということが私にとってどれだけ厚みと深みと奥行きのある意思なのかということを踏まえた上で、その大きなきっかけを与えてくれた、揉めた当事者の方には感謝している。本当にありがとう、そして、ごめんなさい。

お世話になっている友人と電話しながら、友人の誕生日に贈るコーヒー豆をなぜか一緒に選んだりもした。京都発祥のコーヒー店のコーヒー豆なので、嬉しそうだったし、私もいい贈り物ができてうれしかった。口に合うといいのだけれど。

夫と夜のお祈りをして、十字を切って、アーメンと言って、夫は静かに眠っている中、私は自室でこれを書いている。

明日もいい一日になりますように。明日のことまで思い悩むな、と、聖書にも書いてある。これを読んでいるあなたの一日も平穏で幸せに満ちたものでありますように。

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