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『ヘルシー・エイジング』  精神の遺書を書こう 名刺替わりの12冊その2

 年を取るのっていいことだよ。
 若さを失うのは怖い、という人は、ぜひ読んでみてほしい。

 私はちょっと特殊な大家族的環境(本当の意味での大家族ではない)で育ち、長らく末っ子ポジションだった。
 だがそれは、シックスポケットから金貨がじゃぶじゃぶ降ってくる「蝶よ花よと育てられる末っ子」ではなく、周囲が皆大人の中でひとり存在する「大人じゃないもの」というポジションだった。
 おもちゃや洋服や道具類は大半お下がりで、持ち物に「自分のもの」という感覚が芽生えたのはかなり後になってからだった。本も自分の意志で買ってもらうものを選べるようになる前はお下がりだった。私の本の出発点は「本来より高い年齢層をターゲットにした書籍」ばかりである。ちょっと独特の体験、つらさと言えなくもない。

 ちなみに言っておくが、おさがりばかりを与えられて……という話は、大事にされなかったとかないがしろにされたとか、そういうエピソードでは全くない。周囲の人々は私をとても甘やかしたと思うし、大事にしてくれたし、私より少し年上のポジションにいた家族からすれば、むしろ子供時代を謳歌した幸せな存在と見えていたはずである。
(たぶん、私より少し年上のポジションの家族たちは、大家族の中で「小さい大人」的扱いを受けていて、私とは別の種類の苦悩があったと思う)

 小さい頃から年上に囲まれて、自分より高い年齢層向けの本やアイテムに囲まれて育ったせいなのか、私は年を取るということにあまりネガティブな感覚がない。若さ、という概念はたまたま自分に割り当てられたポジションで、それが持つ特典も享受したけれど、自分が努力して得たものではないので、「私のもの」という誇りがない。なので、加齢によって「若さ」が失われることに対しても「まあもともと私のものじゃないしな」という感覚である。
「若く見られたい」という欲求が少な過ぎて、美容や化粧やスキンケアに向けるエネルギーが全くないので、社会人としてはちょっと厄介な場面もあるのだが。

★★★

 この本は、統合医療の大家としてアメリカでは非常に有名になったアンドルー・ワイル博士が、アンチエイジングという「老化を拒絶・逆転させようとする試み」に対して異を唱え、
「病的状態と老化を区別し、病的状態を防ぐ努力はするべきだが、老化を拒絶するのは無益どころか有害である。老化にはそれにしかない恵みもある」
ということを訴えた本である。

 病的状態を防ぐための様々な生活アドバイスも豊富に述べられているので、健康維持のための知識本としてもためになる。代替医療本が陥りがちな、エビデンス無視や特定アイテムの推薦などはない。
 アドバイスをかいつまんで言えば、「適切な予防医学と予防接種の活用・適度な運動・適切な休息と睡眠・知的社会的つながりの維持・心身の柔軟性の確保・バランスの取れた食事・必要ならば少しのサプリメント」という話だ。恐らく代替医療を攻撃否定する人であっても、巻末に掲げられた「ヘルシーエイジングのための十二条」には賛成できると思う。「統合医療」というのは本来、通常医療の否定ではなく、互いに手を携えて補い合うものなのだということが理解できる。
 まあ逆に言えば、「○○さえ食べればガンは治る」というようなわかりやすさはないのだけれど。

★★★

 この本の「老いることは呪いではなく、祝福である」「老いを迎え入れれば熟成を享受できるが、拒絶すればそれは腐敗となってしまう」という思想は、今の私の「年を取る」という概念に一番フィットするものである。
 本の最初の一章は、「不老不死とはどういうものか」「もしそれが実現されればどんな悪夢となるか」ということを様々な角度から述べている。
 ガン細胞はある意味「不死の細胞」だがそれは滅亡につながる。自己を無限に分裂させていくクローン繁殖は、環境の変化に適応できない。寿命は伸びたが健康は維持できないという状態はすでに実現しているが幸せだろうか?
 そういった様々な考察の最後に出てくるのは
「では本当に永遠の若さと健康が得られるとしたら、われわれはその状態に、いつまで耐えることができるだろうか?」
という問いである。永遠の若さと健康、それはとこしえに安息することがない状態である。

 永遠に若くて死なないならいいに決まっている。そう無邪気にわれわれは思うけれど、それは「老化して死ぬ状態のわれわれ」から決して叶わないものを見る時の価値判断である。
 本当に永遠に若く死なない状態になる時、われわれの中から生きていることの価値が失われる。だって何をしてもそれは失われない、いくらでもある状態なのだ。そんなものに何故価値を感じるというのだろう? 本を読みたい、ゲームを遊び倒したい、研究を極めたい、愛する人と過ごしたい。永遠ならばどんなにいいかと思うそれらの行為は、本当に永遠になった瞬間に「どうでもいい背景」に成り下がる。だって絶対なくならないのだ。われわれはその価値を味わうことができなくなるだろう。

 現実問題として、今のわれわれは、過去に生きたどんな人類よりも長生きしているし、かつての贅を尽くした王侯貴族でさえ叶わなかった贅沢をほしいままにしている。平均寿命80年、おとぎばなしの王子でも食べられないアイスクリームを数百円で食べられる夢の世界に生きているわれわれが、これほどまでに与えられているものを無駄にしていることを考えれば、不老不死を得た人間がどれだけ無意味な存在になるかは、推して知るべしだ。

★★★

 私がこの本で一番好きなアドバイスは、「自分が学んだ教訓や知恵、価値観を、折りに触れて書きつけておき、岐路に立った時に自分で読み返し、近しい人に見てもらう」という精神の遺書だ。もしかしたら、私がnoteを書いているのはこの精神の遺書としてなのかも知れない。
 どんな人も、今生きているのであれば、きっと何か他人に遺せる心の贈り物がある。それが文章である必要はなく、生き様や微笑みや手のぬくもりであってもいいのだけれど、文章は自分で読み返して、かたちあるものとして遺すことができる。ちょっとカッコつけた、都合のいい自分を遺せる(笑)。頑張って生きているのだから、それくらいのカッコつけをしてもいいではないか。

 この本の最後にワイル博士自身が、その時点での自分の「精神の遺書」を紹介してくれているが、その文章がとても素敵であるだけでなく、私の中の「こうありたい」という心の形を明文化してくれていて、感動した。

 リアリティを「AかBか」と二者択一式に分ける定式化はわたしを不安にさせる。わたしは「どっちもあり、さらにあり」の定式化を好む。最初は厄介な思考法にみえるかもしれないが、それは多くの可能性への道をひらくものであり、人生をおもしろいものにしてくれる。試していただきたい。

『ヘルシー・エイジング』第十八章 霊性II-遺産

 上記はその一部だけれど、実際の文章はもう少し長くてとても美しい文章なので、気になった人はぜひ手に取ってみてほしい。最後の一文に微笑みが浮かぶ。

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