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『こころ』 つい一家言ものしたくなることは何ですか

 必ず何かに引っかからずにはいられない、という名作である。

★★★

 友人同士で集まって定期的に開催している読書会で、たまにはド定番のタイトルを扱ってみましょう!ということで課題図書になったのが、夏目漱石の『こころ』。
 多くの高校国語の教科書に取り上げられていることもあって、たぶん夏目漱石の著作の中で一番読まれている作品だと思うのだけど、どうなんだろうな。

 読み返してみると、これが長年、高校教科書の題材になっているということに、ものすごく納得してしまった。
 メインに扱われている心理が恋愛と友情と罪悪感という、大多数の高校生が己に引きつけて考えることができるテーマ。
 出てくる登場人物が「キャラクター」と言いたくなるほどに認識しやすい個性を持っている上に、ストーリーラインが「あの時本当は何があったのか?」という謎を追いかけるものなので、筋を追いやすくて読みやすい。
 おまけに要所要所にサスペンスな場面が入って、感情面での惹きつけにも余念がない。
 さらっと読んだだけでも一筋縄ではいかない人間の良心について考えさせられるし、深追いして読んでいこうとすればどこまでも続く迷宮の探索になっていく。
 うーん。あつらえたようにピッタリ。始めから「高校生の国語の教材を書いてください」と頼んだってこうはいかないだろというくらいだ。私が学校の先生でもこれを選ぶと思う。

★★★

 そしてこの物語は、不思議と「語りたくなる」魔性を持っている。

 読書会の課題だったので、ただ読むだけでなくもうちょっと周辺を深掘りしてみるかと、『こころ』を扱った評論本を少し読んでみたのだが、そのどれもが、妙にすごい熱量で書かれているのだ。
 しかも、そこで書かれていることが、バラバラなのである。
 有名どころだけでも、「私の人生を変えた」と激賞する姜尚中さん、テキスト論と際どすぎる深読みを駆使して華麗に自説を展開する石原千秋さん、「漱石の失敗作」と猛烈に罵る小谷野敦さん……みんなベクトルは全然違うのだが、どれも同じくらいエネルギー量が多い。(否定する立場の小谷野さんなんか、勢いあまって石原千秋さん相手のの人格攻撃スレスレになってるくらいで、ここまでの攻撃性を誘発する何かがあるんだろうなぁと思ってしまう)

 もしかしたら特に男性に、なのかも知れないけれど、「これについては俺にも一家言ある」と身を乗り出したくなる……いやむしろ、否応なく身を乗り出させずにはいられなくする何かを、まとわりつかせた小説らしい。

 小説として全体を眺めてみると、新聞小説、しかも連載する新聞側の都合で色々と予定変更を強いられた作品なので、興味を惹きつける展開や緻密な伏線がある一方で、矛盾や「これミスだろうな」と思いたくなる部分も結構あって、確かに「完成度の高い作品」とは言いにくい。
 けれどこの小説の場合、なぜかそれが単なる瑕疵ではなく、引力として作用してしまう。
 否定したい人は躍起になって言及したくなるし、「だがそれがいい」みたいに愛情ブースト装置になっちゃう人もいるし、「むしろこれは意図したものなのでは」とアクロバティック深読みを組み立ててしまう人もいる。
 たぶん、そういう引っかかる何かがある作品の方が、「作者の完璧な計算が行き届いた完全なる傑作」よりも、世界に大きな力を及ぼしていくのだろう。
 だから『こころ』は、夏目漱石の他のどの作品よりも長く残る気がする。

★★★

 今現在の私の視点で読むと、「先生」と「K」と「私」のやり取りは、核心を突かないようにしながらひたすら続く空中戦で、「空の盃でよくああ飽きもせずに献酬ができると思いますわ」という静の言葉が正論すぎるなぁと思う。しかもそれを作中人物に言わせている夏目漱石という人の、冷静な観察眼と同時に、自虐で自己防御するいまいましさみたいなものも感じてしまう。
 先回りして先回りして考えて考えて考えたあげくに何もないところに出てしまった、それを自分ではわかってるんです、でもどうしようもないんです、しかもわかっててどうしようもないんですという心情を吐露せずにはいられないんです。という、知性と甘えがないまぜになった状態で生きていく感覚。

 引っかかるということは、それが私のこころの中でクリアできてない課題なのだろう。
『こころ』は、鏡となって自己を写してしまうタイプの小説だから、イラつくところや反論したくなるところは基本的に全部自分の中にある。
 読んでいると私は静の立場につい感情移入してしまうのだけれど、私の性質はどちらかというと先生に近くて、だからこそ静の方に気持ちが行くのかも知れない。
 先生に本当に感情移入すると、私はちょっと、耐えられなくなってしまうのではないかと、今回読んでいて思ってしまった。

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