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『総選挙ホテル』 傍観者で生きていくよりも

 自分のやりたいことをやることと、主体的に生きることは、違うらしい。

『総選挙ホテル』,桂望実著,株式会社KADOKAWA発行,2019年刊(2016年刊行単行本を加筆修正)

 友人内で定期的に開催している読書会で、久しぶりにちょっと軽めの小説はどうかということで、今回はこの本がテーマだった。
 中堅どころだが売り上げが悪く、このままでは身売りか業態転換かと追いつめられたホテルが、一か八かをかけて、投資ファンドが紹介した社会心理学者を社長に迎え入れる。社長は、
「二割の定員減のリストラを行うにあたり、パートや派遣まで含めた全員が、互いに、配置されるべき部署やそもそも雇用を継続するか否かを投票する」
という「従業員総選挙」を敢行せよと命ずる。さらに続けて、管理職の決定も選挙で行い、監視カメラの映像から社員が互いの勤務について意見を言い合う制度まで始まる。従業員たちはそれまでとは全く異なる部署に配置され、戸惑いながら勤務を続けるうちに、今までの自分の仕事観を更新していく……という物語である。

 面白かったし、しっかりパーツを組み立てて作った精密さが光る小説だった。描写の視点に破綻がなくて練り上げられているし、無駄なエピソードがどこにもなく、どの文章を読んでいても有機的に繋がっている。描写を追いかけていった先に「さっきのあれちょっと筆が滑りました」みたいな行き止まりになることがないので、盤石の信頼感を持って読み進めることができた。
(まあ、作者の筆が滑りまくるフワフワした小説は、それはそれで別の面白さがあるので実は嫌いじゃないけれど)

 奇想天外で突飛な経営アイデアが次々繰り出されるが、それを現実に適用してもこうはならんやろ、とは思う。逆に言えば、そういう方向のリアリティを追いかけるべき物語ではないというのは序盤ではっきり感じられる。
 この物語が表現したいのは、経営方法論や仕事のやり方ではなく、さらにいえば挫折を乗り越えていく個人の心の動きですらない。もっと抽象的なレベルの話だ。

★★★

 この物語を象徴すると言ってもいい文章は、実は前半で、さらっと出てくる。

「クビを宣告されたスタッフたちは、それが仲間からなわけですからショックが大きいでしょうし、残留が決まったスタッフたちも、クビ切りの共犯者となった苦い気持ちがあるでしょうから」
「傍観者ではなく当事者になったってことか。それはいいことだね」
「…………」

『総選挙ホテル』10 85p

 総選挙が実施された直後、経営者の元山と、ホテルの総支配人である永野が交わす会話である。
 この元山の言葉は一度しか出てこないし、その後も特に登場人物たちが思い返したり念押し回想したりする訳でもないのだが、とても重い。
 それは、物語に登場する全ての人物(本当に端役に至るまでの全て)が、それまで「自分の希望を叶えて主体的に」生きていたにも関わらず、傍観者として仕事をしてきたからに他ならない。彼らはやりたいことを追求し、課題を一生懸命考えて処理し、自分の技術を磨いている。だがそれでも、当事者になっていた訳ではない。
 そして当事者にならない限り、評価されようがスキルアップしようが給料が上がろうがコラボや企画を盛り上げようが、何かが上滑りしている感覚から逃れることはできないのだ。

★★★

 個々の登場人物たちが、自らの傍観者性から痛い目に遭い、当事者性を取り戻すエピソードには、彼らの心理描写が過不足なく書き込まれているので、すんなりと理解(もしくは感得)することができる。
 だがこの物語で最もドラスティックに変化していくのは、実は彼らに変化をもたらす根源となった経営者の元山だ。そしてこの元山に関する描写が、実に巧妙なのである。

 元山は、登場した瞬間からド変人として描写される。ホテルのリクルートビデオを嘘呼ばわりし、言葉の裏を取らないでいいように本音で話せと命じ、人の心がわからないことを自他共に認め、振り込め詐欺に騙されそうになった実父に「騙されたと認めろ」と言い放ち、離婚した妻たちから自分勝手と詰られても「その何がいけないのかな」と答える。紙の手触りと音にこだわって目に付いた紙を触りまくり、自宅にはお気に入り紙コレクションの棚を作っている――といった具合に。
 だが、これでもかと繰り出される元山の変人描写は、実は煙幕である。

 元山は、誰よりも「傍観者でいる」ことを選んできた人物だ。
 社会心理学者で数々の心理実験を繰り返し、他人を分析する。ホテルの改革を「実験」と呼ぶ。お気に入りの場所は、「大勢の人が行き交っているが皆が自分を放っておいてくれる感じ」がする駅のコンコースのコーヒーチェーン。紙を触ることと並ぶ彼の趣味は、「裁判の傍聴」。
 人の心がわからないから興味が尽きない、と彼は言い、その言葉に嘘はひとかけらもない。だが彼は、研究者としては何故か伸び悩み今一つ評価されない。

 元山は、分析をして終わりという傍観者ポジションを離れ、改善案を出しそれが効果があったどうかをシビアに問われ責任を引き受ける「当事者」になって、初めて能力を十全に発揮するようになる。反発していた永野も元山の理解者となり、ついには研究者に戻ろうかと思いかけた元山を熱く引き留める。
(引き留められた元山が、手触りを確かめるためでなく、心ここにあらずという風情で紙をめくるというシーンが何とも言えない情緒がある)

 元山の内心の描写が、信頼できない語り手並みに煙幕に満ちているのは、作話上の都合というだけではない。元山自身が、自分の心にきちんと向き合い理解しようとしていないから、元山の視点から本心を描くことは不可能なのである。人の心がわからないとは、自分の心もわからないということだ。傍観者として、自分を守り続けて外から分析しようとする限り、それは続く。
 ちなみにこの傍観者性・当事者性というのは、実は研究者・経営者といった職業の問題ではない。元山はその気になれば当事者性を持って研究をすることもできたはずだし、逆に傍観者スタンスのまま経営に携わってホテルを破綻させる未来も有り得ただろう。

 物語前半、ひとりで暮らしプライベートの時間の全てを自分の好き勝手に費やす生活を、元山は「最高に幸せ」と言い、実際にそのまま傍観者として生き続けたとしても楽しく後悔もせず生涯を過ごしたかも知れない
 だが意識せず元山自身が言った通り、「当事者になることはいいこと」なのだ。傷ついたり、夢破れたり、時には人から憎まれたりすることさえある。楽しくはない。でも当事者の方が、いい。『総選挙ホテル』は、そういう物語だ。

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