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『黒龍とお茶を』 枯木裏龍吟 名刺代わりの12冊その3

「ぼくに言ったんです、昔あの人は体長十ヤードもあって黒一色で、頭が菊そっくりだったって。他の花じゃなくて——どうしても菊だったって。それから、どうしてもぼくに教えておきたいこととして、それぞれの足に五本の指があったこと、とか。ドラゴンとして、ですけど」

『黒龍とお茶を』p27

「名刺替わりの小説10選」というメジャーなハッシュタグではなく「名刺替わりの12冊」というまだるっこしい代物にした理由はひとつで、私は今、小説を全然読まないのである。10冊あげられない。リアルの本棚を見ても5タイトルくらいしかなかったし。
 そんな私の数少ない、無人島に持って行くであろう小説のひとつがこれだ。

 日本語版は1988年に出版。ハヤカワ文庫で300ページほど、一応続編もあるのだがこれ一冊でちゃんと完結している(ついでにいうと残念ながら続編は翻訳されてない)。
 裏表紙のあらすじに「奇妙な初老のカップルをシャレた会話とユーモアあふれる筆致でほのぼのと描いたモダン・ファンタジイの秀作!」という、レトロな売り文句が踊っている。一周回って今ではちょっとおしゃれに感じそうである。

★★★

 かつてはクラシック畑のバイオリニストだったが、今はアイルランド音楽のバンドでフィドルを弾くマーサ・マクナマラは、コンピュータ・エンジアになっている一人娘のリズから、助けを求めるような不穏な呼び出しを受けてアメリカに渡ってきたが、リズは見つからない。
 一方マーサがホテルで出会って意気投合した、不思議な初老の紳士メイランド・ロングが、リズを一緒に探そうともちかけてくる。
 ロングは中国系に見えて裕福そうということ以外、まるで素性がわからず、ホテルのバーテンダーが言うには「自分は昔黒いドラゴンだった」と本気で主張しているようなのだ……。

 という導入を説明しても、この本を説明したことにならないのに、我ながら困惑する。
 物語の主人公は、実はマーサではなくロングの方で、ストーリーは彼がリズとマーサを助けるべく七転八倒していく様が描かれる。ロングは千年を生きる黒龍なのだが、「真実」を求める旅の過程で人間に化身し、今では体温が高いこと、時々かなりの怪力を出せること、そしてあらゆる言語に精通していること以外は、ファンタジックな龍パワーは何も使えない。(あ、高級ホテルに住めるくらいの黄金の持ち主なのは、龍っぽい)
 リズに何が起こったのか、そこからどうやって救出するかということも、ミステリ的な勿体はつけられず、割とさらっと明らかになっていく。
 渦の中心にあるのはサイバー犯罪だけど、なにせ1980年代の話なので、内容は今から見ればだいぶ牧歌的だ(巻き込まれる人々にとっては深刻だけれども)。

 なのに、何度読んでも「今」感じるもの、発見するものがある。

★★★

 マーサは50歳、ロングは1000歳(笑)という「初老」の二人が主人公、というのが、実は物語が古びない要素のひとつかも知れない。若い頃はあまりわからなかった二人の感覚が、今の私にはよくわかる。理解するというより、腹落ちする。

 明るく庶民的ではじけるような生命力にあふれ、しかし気品に満ちたマーサには憧れ、こういう婦人になれたらいいなあと思うのだが、私の本質はむしろロング寄りだ。
 もちろん五本の指を持つ黒い龍ではなし、ロングのように聡明でも怪力でもないのだが、「真実」を求めて本や手紙を読みながらじっとホテルで待ち続ける彼の姿に、私は同質性を強く感じる。
 ロングが薔薇の花を見て「花の中でも、もっとも愛らしく畏るべきもの。ヨークとランカスターの紋章。中世ではイエスの象徴。常に、薔薇の意味は、美、愛、平和——」とすらすら暗唱するシーンは、薔薇を理解しようとして薔薇を見ずに薔薇についての本を100冊読んでしまうような私には、苦笑を通り越して胸に刺さってしまう。

 ロングが軸となって繰り広げられる登場人物たちの会話(ロング自身の自己対話も含めて)は、軽快な詩のような魅力に満ちていて、何度読んでも快い。
 そのひとつひとつが、後になって様々な意味合いを持っているのに気付く。伏線や謎なのではない。物語上の意味ですらない。あえていうなら「真実」。読み返すたびに、ああそういうことかと感じる。

 そういう「真実」が、大仰な文学や論考や長詩としてではなく、あくまで軽やかな娯楽小説という顔で存在しているのが、私にとって重要なのだと思う。
 それはロングが様々な〈道〉タオの師をめぐっても真理を見つけることができず、龍としての己の全てを失った末に思いも寄らない形で「存在の——生きることの——味わい」を見つけたことに似ている。

★★★

 この本の冒頭のエピグラフは、「枯木裏龍吟」にまつわる禅問答で、日本では正法眼蔵からの引用がメジャーなようだ。現在では「不要に見える枯れ木も風によって龍のごとく鳴る、目に見えるものが全てではなく思わぬものが思わぬ力を発揮することもある」というような解釈がメインらしい。
 私が以前買ったペーパーバック版の原著には、このエピグラフが見当たらないので、ペーパーバック版で削除されてしまったのか、わからないのだが。
 この本はもちろん枯れてはいないけれど、表面のあらすじを紹介しても、読書体験によって鳴り響く龍の吟を表現することができない。何とも絶妙なエピグラフだなと、改めて思う。

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