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『コンビニ人間』 受け容れやすい機械、受け容れられない人間

 偽の問題が提示されて、偽の解決が描写され、何となくカタルシスが広がる。そしてもっと深刻な真の問題が隠蔽される。
 という構造が、何とも気持ちの悪い小説だった。

 出てくる登場人物や描写が、絶妙な滑稽さと愛らしさを持ちつつ、気色悪さを配分されているので、湧き出てくる気持ち悪さの原因もそこなのかと誤解しそうになる。そういう語りの底意地の悪さがあるので、カタルシスはあるのだけど読後感が悪いという、珍しい感想になった。

★★★

 物語自体は、人間社会の感情ルールになじむことができず、適応するにはどうすればいいのだろうと思う主人公・古倉恵子が、様々な出来事の末に、自分が人間である以前に「コンビニ店員」であるのだということを見出し、自分の存在意義を自覚する……という流れをたどる。
「異物を排除するムラ」「普通であることを強いる」という人間社会の歪みを描き、人間性を排除して経済活動の部品として人間を扱うコンビニの中でのみ生きられる主人公は果たして幸せなのか、それとも「普通の人間であるわれわれ」の方が間違っているのか……と思わせる。
 なので、何となく「古倉さんみたいな”異物”も優しく受け容れる多様性のある社会であればいいのに」という感想に落ち着きそうになる。
 それが「表の構造」だ。

 なのだが、正直なところ、私はこの主人公が何を困っているのかがよくわからなかった。

 実のところ、古倉恵子は、自らが「普通でないこと」に対して別に苦しんでいる訳でも困っている訳でもなさそうなのだ。家族が「治らないと困る」というので「普通にならないと困るのだろうな」とだけ思っているのだが、その家族に対しても感情がある訳でもない。ほっといてくれればそれで終わりなのだが、ほっといてはくれないので「対応」しているに過ぎない。ほっといて!という怒りや嫌悪すらなく、定期的に入る入力は処理するシステムになっているので何らかの出力で処理するのだが、フィードバックがいつもエラーなので対応がオーバーフロウするという「機械」なのである。
 機械は、困らない。困るのは、人間である。
 どう考えても、この物語で本当に困っているのは、古倉恵子ではなく、彼女の両親や妹であり、特に妹は典型的なカサンドラ症候群に陥ってパニックになっている。
 彼女たちの苦痛は、古倉恵子が「コンビニ人間」として覚醒する大団円では何も解決しそうにない。

 物語は古倉恵子が語り手なので、彼女を人間として扱わねばならない立場に置かれる側の困惑や苦痛は、間接的にしか描かれない。なので、読者はギリギリのところでその実感を抱かないようになっている。
 古倉が、赤ちゃんが泣きやまなくて困るという妹に「ナイフがあるんだから静かにさせるのは簡単なのに」と不思議がる場面は、多くの読者が感想で言及する恐怖シーンだが、物語全体はそこに寄り添わないので、あくまで主人公の属性説明、いちエピソードとして流れていってしまう。

★★★

 そして彼女には、「コンビニ店員として恐ろしいほど優秀である」という強みが与えられている。
 コンビニ店員としての能力ならば、古倉はどんな内容でも丸のみするように身につけてしまう。最後には、「コンビニの『声』が聞こえ」てきて、自分が雇われてもいないコンビニの仕事を勝手にやってしまい、しかもその店員に心から感謝までされる。
 物語の途中に「客なのに店員のような顔をして他の客を注意しまくって迷惑がられ排除される男」が描写されるが、それとの対照が鮮やかなほどだ。

 コンビニ店員として優秀である。というのは、彼女がこれから社会の中で居場所を作っていくにあたって、十分すぎるギフトである。
 何しろ「コンビニ店員」は、社会において常に必要とされており、慢性的な人手不足に悩んでいる職種である。払われる時給以上の成果をもたらし、損害を与えないのだから、彼女が今後職に困ることはないだろう。お金のかかる要素もない彼女は、たぶん昇給すら必要としない。病気になったら治すお金がないかも知れないが、別に彼女は長生きしようとも思わないだろう。「そういう存在」として造形されているし、そこに彼女は苦痛を抱いてもいない。

 もしも、彼女の優秀さが「羊皮紙にイコンを描く」とか「バイオリンを弾く」とかでしか発揮できないものだったら、こうはいかない。
 あるいは、彼女自身はコンビニ店員として働く時だけ存在意義を感じられるけれど、仕事の能力が高い訳ではない……という存在だったとしたら、この話は成り立たなくなる。

 私が古倉恵子という存在にリアリティを感じられないのは、「物語の都合によい属性を設定されてるなぁ」と思ってしまうからである。
 まあ、そういう都合のよい設定で真の問題を隠す構造の物語に、文句を言ってもしょうがないのだが(笑)。

★★★

 この話にはもうひとり、重要な登場人物がいる。まがりなりにも一応の平穏を保っていた主人公の生活をかきまわす、元同僚の白羽という男性だ。
 社会生活を営む能力にことごとく欠け、最低限のルールを守ることもできず、暴言を吐いたりストーカー行為をしたり親族に借金をして逃げ回ったりと、迷惑極まりない言動を繰り返す。結果として周囲から軽蔑・否定されきっており、そんな自分から目をそらして自尊心を守るために、解像度の低い雑な社会憎悪とミソジニーにしがみつく。しかもその差別思想すら、自分の頭で考えたものではなく、どこかから仕入れた受け売りのものでしかない。
 彼は、古倉恵子に寄生して生きのびようとするのだが、ヒモとしての能力にも著しく欠けるために、大失敗する。
 白羽が「同棲」していると誤解してもらえれば社会適応に「便利」なので家に置いていた古倉恵子だが、白羽が彼女にコンビニ店員以外の職を強要したことで、二人の生活は終わりを告げる。そこに至るまでの白羽の言動ひとつひとつが、わかりやすすぎるダメ人間の総天然色見本で、道徳の時間に見せられる「主人公が失敗するとわかっている行動をし続けるビデオ」を見せられてるようなうんざり感をおぼえる。

 本当に嫌になる、びた一文たりとも好意のわかない、どうしようもない人間だ。
 白羽は、物語の登場人物全てから軽蔑され否定され排除され、さらに言えば読者からも拒絶され嘲笑される人物として作られている。物語世界からも物語の外からも、二重三重に排除されている存在なのである。

 ここまで白羽が、いわば「生けるクズ」として設定されているのは、彼こそがこの物語の構造が隠す「真の問題」だからに他ならない。

★★★

 読者は、赤ちゃんをナイフで刺して黙らせれば簡単と結論づけるコンビニの部品・古倉恵子は、受け容れることができる。「彼女を異物として排除するなんて可哀想、社会はもっと多様性を持たなければ」とさえ思う。
 だがそう言った舌の根も乾かぬうちに、まず間違いなく、白羽を完全に排除する。
 白羽の方がはるかに「人間らしい」存在であるにも関わらず。

「異物を排除しない社会」を求めるお前は、では白羽を受け容れることができるのか?
 この物語はこっそりとそう問うている。
 古倉は他人に迷惑をかけないけれど、白羽は迷惑だから。問われたらそう答えることはできるだろう。だが「迷惑な人は排除する」ということ、それこそがまさにさっき否定したばかりの「ムラ社会の掟」ではなかったのか?
 同質の存在だけを受け容れる、というのと、迷惑をかけない存在だけを受け容れる、というのと、何が違うというのか? もっと言えば「同質性」とは、「迷惑をかけないこと」の言い換えでしかないのではないか?

 まあ、でも、正直に言って白羽を受け容れるのは難しい。彼自身が変わらない限り、ほとんど不可能であろう。
 でも彼がどうすれば変われるというのだろう? あそこまで自己憐憫と社会憎悪にこじれた意識を解きほぐして、自らの未熟さを認めて、弱さを引き受け、その上で他人と折り合っていけるところまで人格を陶冶するというのは、彼よりはるかに優れた精神性を持った人間であったとしても、並大抵の努力でできることではない。私が白羽のような人間だったとしたら、それができる道筋など全然見えない。
 どうすりゃいいんだよ。白羽の立場に立ってみると、割と八方ふさがりである。現状の大部分の責任は白羽自身にあるのは間違いないが、では彼を排除して捨てて事足れりとはできないだろう。
 なぜなら、人間としては、古倉恵子のような存在よりも、白羽のような存在の方が圧倒的多数であり、こちらの存在をどうしていくかの方が深刻な問題なのである。

 このより深刻な問題を、物語は意図的にスルーする。古倉恵子が「デキるコンビニ店員」としての自己を見出すという、解決の容易い問題(というより本当は問題ですらなかったもの)の解決を描いて、あたかもそれで世界がハッピーになったような結末で読者を煙に巻く。

 作者がこの問題自体に気付いていないのなら迂闊としか言いようがないが、もちろんそんな訳はない。これほどまでに周到に、叙述トリックのように、問題じゃないものを問題と見せかけ、本当に困っている人を置き去りにした構造を作り上げているのだから。
 とても底意地の悪い物語だと思うし、同時に真の解決に至る道筋が念入りに塞がれているので、読み終わって暗澹たる気分になる。

★★★

 白羽、という名前が、妙に綺麗で天使すら思わせるものであるのも、意図的な命名なのだろうかと勘ぐってしまった。
 人間社会には、天使の生きられる場所はない。恵みを蓄えた古い倉は人間でなくても歓迎されるけど、白い羽を持っていたら人間であっても死んで天に行くしかないのだろうか。そして天使が、人間の喜ぶ綺麗な姿をしているとは、全く限らないのだ。

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