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「追憶の烏」

これを書いてる現時点で、私のnoteを読みに来てくれているのは、9割がA Course in Miracles の学習者だと思うのだけど、それとはまったく関係ない話をするつもりの(でも、しれっとコースの話を混ぜたりするかもしれない)、趣味のマガジンを作った。

これは、そのマガジン(The Secret Garden)に入れるつもりの記事で、少なくとも今回は、スピリチュアルな話はまったく出てこない。

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年末に図書館の小説コーナーの飾り棚に、阿部智里の「追憶の烏」が置いてあるのを見つけて、「おっ」と思って借りてきた。

奥付を確認すると、一昨年の8月の初版第1刷なので、以前から所蔵していたのだろうけれども、書架に置かれているのを見たのは初めてだった。
売れ筋の本だから、ずっと貸出中だったのだろう。

これは「八咫烏シリーズ」と呼ばれる一連の和風ファンタジー作品の、第2部の2冊目。

スリランカにいた頃、日本への帰国が待ちきれなくてKindleでポチッた、第1部5巻の「玉依姫」以外、毎回図書館で借りて読んでいる。

とってもとってもおもしろいのだが、自分がこの一連の物語を好きなのか?というと、そこは自信がないのと、いつ完結するやらわからない大河ドラマなので、いまのところ、手元に揃えようと思えない。
(第一冊めの発売から10年が経つが、いっこうに終わる気配もない)


最初の一冊である、「烏に単(ひとえ)は似合わない」を読んだのは、もうずいぶん前のこと。
前評判で、この本は、読んだひとの評価が真っ二つに分かれる、というレビューを読んでいた。

実際読んでみたところ、なるほど、そりゃそうだろうな、と思った。

物語の舞台は、そのほとんどが人の姿をとって生活している「八咫烏(やたがらす)」たちの住む「山内(やまうち)」と呼ばれる世界。

山内の王たる「金烏(きんう)」の日継の御子(つまり皇太子)である若宮の妃を決めるため、4人の姫君たちが宮廷で競い合うが、そこで事件が起きて……というミステリー仕立てで物語は進む。

それは作者のデビュー作で、彼女はこの作品で松本清張賞を最年少で受賞した。
まだ大学生だった。

天然の山肌に懸けられるように建つ宮廷と、それを取り巻く「山内」の世界、人形にも鳥形にもなれる八咫烏たち、3番足の大烏の牽く空飛ぶ車……

そうしたオリジナリティ溢れるイマジネーションに満ちた世界観を、まるで実際に見てきたかのように、読む者の目前に景色が広がるかのように描き出す。

つまり構想を練り始めた10代のうちからこの世界観を構築していたということで、その才能はまったく非凡だ。彼女を見出した編集者の喜びと興奮は想像に難くない。
(それから10年経っての、シリーズの複雑な展開と、いまだに回収され続ける伏線を知ったれば尚更そう思う。)

そうした圧倒されるような想像力、構想力、表現力、読むひとをぐいぐいと物語世界に引き込む力に感嘆する一方で、若さゆえと思われる拙さも、あちこちに隠しようもなく見えた。

文章表現や台詞回し、構成力もだけれど、何より登場人物のキャラクターの肉付けに。
もうそれは、書こうとしているもののスケールに、人生経験が追いついていなかっただろうから、仕方のないところもあったと思う。

当時読んだレビューに、「これがあと10年経っていろいろ経験を積んでから書かれたものなら、作品としての完成度はより高かったろうという点は、非常に残念だ」というものがあって、私は大きく頷かずにいられなかった。

原石は素晴らしいが、荒削りすぎる、というのが、からい評価がたくさんついていた理由のひとつだったと思う。

もうひとつの批判のポイントは、「これが松本清張賞? これで賞がとれるの? これがミステリーと言えるのか???」というもの。
(※しかし、実のところ松本清張賞は、ミステリーの賞というわけではなく、広くエンターテイメント一般に開かれた賞らしい。)

ネタバレになるので詳しくは書かないが、Amazonのレビューで酷評している意見のほとんどが指摘する、物語後半の事件の種明かしの説得力のなさ、不自然さ、登場人物たちのキャラクターのブレ加減についてのガッカリ感は、私もまったく同意見だった。
よく編集者は、あれをそのまま出せたものだ、職務怠慢ではないかと思ったものだ。

それでも当時レビューに、とにかく第1巻の違和感は我慢して、続編を読め、続編以降がおもしろくなるのだから、と書かれていたので、2巻、3巻と読んだ。

それで読む者にわかるのは、1巻で一見不要と思われたエピソードの数々は、大河ドラマとなるべく張り巡らされた伏線である、ということだ。

あちこちに見受けられる才能のきらめきにも関わらず、隠しようのない稚拙さや粗さの残る作品が、大賞受賞、出版、となる運びとなったのは、編集部がすでに壮大な物語世界の背景を知っていたからだと思う。
作者は高校生の頃にも、シリーズ第5巻となる「玉依姫」のベースとなる作品で、同賞の最終選考まで残っていた。

ダイヤの原石を見つけた、この子の書くものは売れる、この子をウチでヒットメイカーに育てていくんだ!という編集部の期待と熱意を感じる。

そしてその先見の明は当たっていたのであり、このシリーズは現在までにミリオンセラーとなっている。
現在、第1部が6冊、短編集の収められた外伝が2冊、第2部が3冊、計11冊が出ている。


さて、1巻でめげずに、とにかく続きを読め、と言われて、2巻、3巻と読んだが、しかし、1巻ほどではないけれども、やはりキャラクター設定などの不自然さは同様だったし、作者が魅力的な人物として描こうとしているのだろうキャラに、こちらとしては魅力があまり感じられない。

けれども、やはり、つまらなくはないのだ。
それで、この大風呂敷をどう回収するのかと思いつつ読み進めていたが、4巻「空棺の烏」が、ほんとうにおもしろかった!
(それで、スリランカにいた頃、待ちきれずにその次の5巻はKindleで買ったのだった。)

結局、今日に至るまで読み続けており、このお正月に「追憶の烏」を読んだ。

うーん、これがやっぱり、おもしろいのだ。
でも、前に書いたように、この物語が好きか?というと、即答できない。

なぜか。

いつも読みながら、このひとのストーリーテラーとしての才能はすごいなぁ、でも結局、彼女はいったい何を伝えたいのだろう?って思ってしまう。

そんなふうに思ってしまうのは、あながち彼女のせいというわけではなく、私が児童文学の愛好家だからかもしれない。

ここまで読んできて、阿部智里とはどんな作家かについて、はっきり言えることはひとつ。
「彼女の辞書には、予定調和という文字は入っていない」ということ。
とにかく読者の予想を裏切り続ける。いろんな意味で。

それ自体は悪いことでもないが、児童文学畑のファンたる私は、救いのない話というのは好きじゃないのね。
でも、このひとが、登場人物たちを、果たして救うつもりがあるのかに、さっぱり信頼が持てないのだ。

躊躇なくキャラクターをどんどこ奈落に落っことすし、こりゃ最後はバッドエンドで終わるのかもしれない、という印象が拭えない。

なので、おもしろい、たしかにめっぽうおもしろい、とは思いつつも、好きか?と言われれば、うーーーん、と唸ってしまう。

今回、「追憶の烏」も、10年経って第1巻の伏線がドバッと回収された感があるのだけれど、まぁ、主要な登場人物たちに容赦がないこと。
しかし、それもさしてショックに思えないほど、もう彼女の容赦のなさに慣れきっていて、いまでは「さすが、阿部智里だ」と感じるほどになった。

読んでいて、このひと(作者)の情緒、どうなってるのかな、お友だちとかと、ふつうの信頼関係築けているんだろうか、と思ってしまったりもするんだけど(ごめんね、偏見だよね)、それでも読んでしまうのね。

これからも、いやぁおもしろい、でもなぁ、うーん、と思いつつ、物語が完結するまで追ってしまうと思う。
どんな決着をつけるのか、果たしてこの物語において救いは描かれるのか、気になるからだ。


ただ、読み続けるのには、もうひとつ理由があるかもしれない。
いつだったか、彼女のインタビューか何かを読んでいて、とても感動したことがあったのだ。

それは、まだまだほんとうに幼かった彼女が、「作家」という職業があると知ったとき、自分はそれになりたい、と思った、それ以来、作家以外のものになりたいと思ったことはない、と語っていたことだ。

このひとは、今回の人生で、とことんまでそれをやる、と決めて生まれてきたのに違いない、と分かるエピソードだった。
その熱意、そのまっすぐさ、躊躇いのなさを、私は愛した。

自分が、自分のいのちを使って何がしたいか、わかっているのは、ほんとうの祝福だと思う。

でもだからこそ、救いのない話で終わらせないでほしいなって、思わなくもない。

でも、おのれのやりたいことを、好きなだけ、存分にやり切ってくれれば、それはそれでいいのかな、という気もしている。

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