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にんにくマスク【臨月の日記 4/16】

今日は夫と高円寺で待ち合わせをして遊んだ。集合してまずもんじゃ焼きを食べ、古着屋などを見ながらぶらぶらしたあと、またおなかが空いてきたのでたこ焼きとお餅を食べ歩き、そして最後に沖縄料理屋に入った。

もんじゃ焼きの店で隣になった、4人家族の父親が、どことなく横柄な感じでわたしはあまり好きではなかった。店を出たあとに夫が同じ感想を口にしたので思わず大きな声で同意してしまった。最後に食べたねぎ塩豚もんじゃというのがにんにくが効いていて、店を出てしばらくマスクのなかににんにくくささが充満していた。

不安定な天気だった。厚くて暗い雨雲と強めの日差しが同居していて、「カメラを持ってくればよかった。今日は光のコントラストがきれいだね」と夫が言った。そのときわたしはその瞬間の光の特別さというのがあまりよくわからなくて、つい黙ってしまった。そのままスルーされるかと思ったが、「同意が得られなかった」とバレてしまった。でもその少しあとに雨に降られ、それがあがったあとで、ふたたび夫が「やっぱり光がきれいだ」と言った瞬間があって、そのときのきれいさというのはわたしにもわかった。「今はわたしにもわかる」と言った。わかったことがうれしかった。

一週間ほど前までより、格段に疲れやすくなっていて、休み休み歩いた。ぶらぶらしている途中で行きあたった公園は、たくさんの子どもとその親や、テーブルつきベンチで談笑している若者などでにぎわっていた。ママ友と交流するママを見ながら、わたしもあんなふうになるのだろうかと考えた。そのママはいかにもママ然とした人格を憑依させているように見えて、自分がそうなるところはあまり想像できなかった。「でも人間は環境次第でいくらでも変わるからね」と夫は言った。

沖縄料理屋は、夫がかつてこの界隈に住んでいたころによく来ていたという店だった。この店で海ぶどうやジーマミー豆腐のおいしさに目覚めた、というのでどちらも頼んでみたけれど、残念ながらわたしはそこまでの感動は得られなかった。ただ締めに食べた沖縄そばはとてもおいしくて、数ヶ月前に家で食べたチルドの沖縄そばとは全然違った。光のきれいさがわかったときと同じうれしさがあった。

数週間前(妊娠週数の観点から、いつ産まれてもおかしくないと言われるようになる時期)は、今すぐに陣痛がきたらまだ心の準備ができてなくて困る、と思っていたが、今はある程度落ち着いた気持ちになってきた、という話をした。次に会うときは入院のときで、わたしは痛みに悶え苦しんでるかもしれないね、と言いながら別れた。夫は別れ際、わたしの少し硬くて丸い腹をしきりにさすっていた。

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