考え抜くと何も残らなくなるのかもしれない

私は勉強はほとんどしなかった。
あまり親は私に関心がなかったし、きょうだいたちからは、阻害されていたので、孤独でもあったけど、成長するに従って孤独は自由へと形を変えた。
孤独が自由に変わるまで何度もひねくれそうになったけれど、孤独を感じずにすむ都合の良い解釈をする癖がついた。
自分が潰れないための解釈を変えて行く事は自由で、それは私の脳内で起きることなので、誰に何を言われる事もない。

友人がいじめを苦に自殺をした。いつも一緒に遊んでいたマンションがあって、そこでいつも鬼ごっこやかくれんぼをした。私たちには隠れ家のようなものであり基地のようなものでもあった。
彼女は、隣町の中学校へ入学し、3ヶ月後にそのマンションから飛び降りて死んだ。
目の前で見た死ではなかったので、死はよく理解できなかったけれど、彼女が死ぬ場所に基地を選んだことで、何となく、一緒に過ごした時間がその場所に封印された気がした。

そのすぐ後、私の周りでもいじめが始まった。
「人は簡単に死ぬ」なんとなくそんな気持ちがあって、そう知りもしない子のいじめを止めに入った。
私にとっては「だって死ぬかもしれないんだよ?」という心配。それ比べていじめを止めに入る事は簡単な事だったから…
いじめのターゲットは私へと移行した。
あぁ、これがよくあるパターンなんだな…

いじめが始まった時、数日は、私が悪いのかとか、なんでそれまで仲良くしてた子は知らん顔するんだとか、状況を把握するのに戸惑った。
ただ、自分がいじめられるような人間なのか?と考え始めた時、それを自分が認めたら、潰れると思った。
私が足りない事ももちろんあるだろうし、いじめる子にも知らん顔する子にもそれぞれ色々あるだろう。でも、自分で自分が「いじめられるような人間なんだな」と認める事は、自分が、これまで耐えてきた孤独に呑み込まれ、そちら側に一気に流されて行くという恐怖を感じて、受け入れる事はできなかった。そして
「これはケンカ」
と決めた。1年間続いたイジメは、喧嘩両成敗として、手打ちするよう提案され、両者がそれを受諾して終わった。

複数対単体の言われなき「いちゃもん」の数々。
喧嘩両成敗という大人は何を言ってんだと思いはしたけど、100%納得のいくことばかりではなく、それが前進なら、良しとしなければ、前に進めない。
いじめてる子は、思う通りにならない私と、きれいごとを言う私を毛嫌いしつつも、関わってくる。孤独なんだなと思った。

思い切り受け入れてみよう。
イジワルをしてくるけれど、困ったことがあると相談してくるようになった。
彼女をみて思うこと。中途半端につらい現実を受け入れようとするととこんな感じになるんだと思った。

環境は私と同じ。酒乱家庭。父親の暴力。
彼女は反発することもなく、ただ、いい子に、いつも幼いきょうだいの面倒を見ていた。
何かを悟ろうとしていて、悟りきれない苛立ちから、人をいじめたり、騙したり…

私は、酒乱の父に殴られていたけど、そこにジャッジはなかった。
「酒飲んだらあれは別人」という認識を変えるので、その時に殴られることも、心無い言葉も、全部明日になったら覚えてない程度の出来事。
私が重く受け止める必要はないと思ってた。
加えられた危害はその日だけのこと。今が過ぎれば終わり。悪いのは父で私には関係ない。そして、今日な事は明日にも関係がない。そこから学ぶ事は怪我をしないための「受け身」くらいだし、肉体的に「痛い」だけ。
でも彼女は、多分、母親が好きでお母さんに認められるために努力をしてた。
幸い私は母が好きではなかったので、この「いい子」でいなければならない鎖に絡みとられることがなかった。
この違いなんだと思う。
「いい子」の鎖は、彼女は肉体的な痛みと心の痛みと両方の苦しみを与える。そのはけ口が他人への「いじめ」によって吐き出されてた気がする。

そのうちに、周りは、彼女を排除する形へと変化した。そして、彼女は居場所を求めて学校を去った。
彼女が姿を消して半年した頃、彼女の母親は父親の暴力によって命を落とした。

戻ってきた彼女が私に言った言葉。
「あんたなんか本当は大嫌いなんだわ」

それから、色んな人間関係で幾度となく悩んだり苦しんだりしながら、色んなことを試し続けて、結局、ぐるっと回ってみると、そこに意味をつけたがってただけで、実は、何でもないということなんだと思うようになった。
他者との関わりにはエネルギーが必要で、自分以外の人格、考えがあって、それらと交信すると、摩擦も起きる。いい意味でも悪い意味でも。
でも、それも出来事が起きたというだけで、それぞれに事情があるだけのこと。
どう受け止めるかを決めるだけだと思ってたけど…考えない、受け止めないという選択肢もあるんだという事を考えついたことがなかった。
「あーそうなんだね」と特にそこに意味も理由もないっちゃない。見つけようとするとあるっちゃあるということで、なんとなく、人生とはそれの繰り返しなんだなぁ…難しく考えすぎてたかな。

今は、全てが私の周りで急足で過ぎて行く。
私は停止した

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