味噌汁をぶちまけて、コミュニケーションについて学んだ話。
今朝、写真の味噌汁を自分で自分にぶちまけてしまった。
一度立って座る時に服がぶつかって、
気づいたら、全部自分とソファーに。
自分から味噌汁がしたたる、なんていうなんだかもうよくわからない事態に。
想定外のことが起きると、人間冷静な判断ができなくなるもので、
「どうしよう・・・」と一瞬思考停止に。
すると、
夫が「その具は、こっちに捨ててね」と指示を出し、
その後、すばやくタオルを持ってきてくれて、
「先着替えちゃえば?」と、わたしが着替えている間に片付けたりしてくれた。
そして、何事もなかったかのように、
朝食が続き・・・
そんな時、思い浮かんだのが、
「子供は、よくこういうシチュエーションになってるよな」ということ。
で、よく見るのが、
「何やってるの!!」
「ちゃんと見ないからでしょ!」的なお母さん。
もう大人になって随分と図太くなったわたしでも、
今日の状況で、夫に怒られてたら、ショック倍増・・・
いや、すぐには立ち直れないかもしれない。
すでに服は全部味噌汁まみれだし、床は味噌汁でびちょびちょだし、ソファーまで濡れている。
おまけにせっかくの味噌汁は飲めないし(残りもない)、なんだかもういたたまれない。
すでに凹んでいるのに、追い討ちで怒られたら?
つ、つらい・・・
となんだか急に子供の気持ちになった。
それを思うと、子供との接し方は大事だな、と思った。
注目されたくて、
わざとそういうことする子もいるけど、
その場合はまた別の課題があるとして、
「うっかり失敗した」
ときの声かけや対応の大切さを改めて実感した。
特に子供は、最初は失敗の捉え方がわからない。
おそらく・・・
大人の反応を見て、自分がしたことがどういうことなのかを学ぶのだ。
大人の対応次第で、
子供の価値観が変わる。
失敗は悪いことじゃない、とわかると、
変にごまかしたり、嘘ついたりしなくなる。
そう、チャレンジができるようになるのだ。
子育て以外でも、
特に自分より弱い立場の人が、
何か失敗をした時、どういう対応をするか?に、
そのあとの人の行動や価値観を変えてしまうほどの影響力がある。
失敗の捉え方は、それほど大事だ。
子供と接するのであれば、
大人の自分が自分の失敗をどう捉えているのか?
ということももちろん大事である。
失敗したら、自分の価値が下がるように感じているような場合、
失敗を認めたくないだろう。
でも、実際にはどんな失敗も、人の価値を下げることはない。
成功と人の価値も、リンクしていない。
人の価値は、もっと普遍的なものだ。
成功も失敗も、人生における過程であって、
きっとわたしたちが生きる意味とは別の次元の話だ。
失敗は失敗として、淡々と振り返るのみだ。
もし、うっかり子供の失敗を厳しく叱ってしまったとしたら?
そう、謝ればいい。
そう、それもまた失敗なのかもしれないけれど、
大人側の対応もまた、そうやって、再チャレンジできるのだ。
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