高校の時、音楽の授業で初めて気づいた「自分はこんなもんじゃない!」

思い出すまま 色々書いてみます。

中学3年の時だったと思う、初めてテレビで宝塚を見たのは。
母が録画してくれた大浦みずきさんの退団公演。
実はそれまでにも母は
「さおくん、宝塚やってるよ〜」とテレビでやっている時に言ったりしてくれていたらしいのだが(記憶なし)全く響かず、
だのにこの時ばかりは急にどハマりしてしまった。

それからというもの、寝ても覚めても宝塚。
だが不思議と公演に行きたいとか思うことは一度もなかった(なんでやねん笑)
そして行ってない、、何か、行くのは怖かった(?)
そこまでファンになってはいけないような気もしていた(?)
「私もやりたい!」が主目的だったからかもしれないが・・

大浦みずきさん、安寿ミラさん、真矢みきさん、他 たくさんのスターが大好きになりWOWOWで当時やっていた宝塚の公演を見ては家で真似をしまくる。
歌い踊り、母に見せる(笑)
飽き足らず、高校に行っても昼休み、放課後と歌と踊りを友人に見せたりし始める。

いわゆる宝塚〜的なものだったらもしかしたら友人らも
「ああ宝塚ね!」とか言ってくれたかもしれないが、
主に私が披露していたのは大浦みずきさんの退団公演の中のショーで大浦さんがニヒルに一人で踊る大人っぽいダンス。 

友人ら「 ??? パチパチ(拍手)(よくわからんけど)すごいね〜 
よく足があがるね〜」

ありがとう、、友人、、

宝塚の情報はWOWOWと、街に行った時に商店街で立ち読みをしていた宝塚グラフ。(たまに買ってもらえた)

新しいものを見ては真似て、、。そして生活全てを宝塚的にアレンジしたくなった私は、体育の時間のラジオ体操さえバレエ風ラジオ体操にしてつま先から指先まで美しく踊って(?)いたため非常に目立っていた(というか全員に笑われていた笑)
その頃カルチャーセンターにバレエを習いに行かせてもらっていたのでバレエはほんの少しかじってる、程度だったと思う。

音楽室が空いていたら放課後忍び込んでピアノで歌う、弾き語りをする。
日当たりのよかった音楽室は暑かったけど、演奏することに興奮して
暑さなど感じなかった。
「ね〜おばた〜 もう帰らん?」
と友人が言っていたのを思い出す、、ごめんごめん(^_^;)

”歌と踊りといえばオバタ” みたいに浸透してきた(?)ある日、
音楽のテストがあった。
Caro mio ben(カーロミオベン)というイタリア歌曲。
その頃の私はどの歌が好きとか、そういうのはもはやどうでもよかった。
とにかく歌うということにただただ心酔していた。
そして誰よりも素晴らしく歌えると思っていた。
カーロミオベンを自分なりに練習をして一人ずつのテストに臨んだ。

が、結果は思っていたほど良くはなかった!
点数的には中くらいよりちょっと上、くらい。
自分より点数が上の人の演奏を聞いたり、先生になぜ自分はこの点数だったのか
聞きに行ったと思う。
そうすると、「音程、リズム感、あと発声がまっすぐに響くことが大事」
というようなことを言われて、「そうか!」と、珍しくすぐに納得(笑)

でも「いや、(テストの時は)知らなかっただけで私の実力はこんなもんじゃない!」
と強く思って(笑)しまったのだった。
でも改善しようとこの辺りから真面目ちゃんな私モードになる。
そして声楽の先生をピアノの調律の方から紹介していただき、声楽のレッスンに行くことになる。

緊張?の第一回レッスンは 次回!につづく


尾畑里美 SNS 
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