崖っぷちにいる人に、どんな言葉をかけるだろうか。
I'm on the Edge.
という英語の表現がある。
”edge”は「端」。
”on the Edge”は、崖っぷちに立っているようなイメージだろうか。
平々凡々の通常運転モードからすると、崖っぷちに立っている状態なんて避けたい状況なのだろう。
”on the Edge”は「緊張」「いらいら」の意味で使われている。
だけど思うのです。
Edge(崖)は、本当に避けるべきものなのだろうか。
* * * * *
先週までの2週間ほど、WBCに夢中になっていた。
普段はテレビを見ることさえないのだけど、パートナーに付き合って1試合だけ見たら、ビックリするほど、どハマりしてしまった。
いちばん印象的だったのは、準決勝のメキシコ戦。
9回裏、1点差で追いかけている状態で迎えた逆転のチャンスで、バッターは村上宗隆選手。
JAPANの4番として期待されながらも不調だった村上選手。
その日も前の打席までは、3打席連続三振……
それ以前の試合でも「今日こそは!?」と自他が期待する場面で、チャンスをものにできなかった。
悔しかっただろう。情けなかっただろう。
「なんとかしたい!」という気持ちが、画面越しにも伝わってくるほどだった。
そして、チームメイトや会場からの声援。画面越しに見ている多くの日本人たちも「大丈夫だよ」「肩の力を抜いて」と思っていた(私もその一人だった)。そんな想いは、村上選手にも届いていただろう。
「期待に応えたい」と、誰よりも思っていたのは村上選手だったはずだ。
そんな中でのメキシコ戦、9回裏ノーアウト1塁・2塁でのチャンス。
村上選手はチーム、いや日本中の期待に応える2ベースヒット。
そして、見事な劇的な勝利!
あの場面で泣いた人は、高木豊さんだけではないだろう。
(WBCをきっかけに見るようになった「高木豊チャンネル」おもしろいです)
あの場面は、まさに”edge”を超えた瞬間ではないだろうか。
* * * * *
人や組織の変化・変容を扱う統合心理学であるプロセスワークでは、エッジを「変化の妨げになる障壁」と捉えている。
私たちは、ふだんは慣れ親しんだ「自分」を生きている(いわゆるアイデンティティというやつだ)。
でも、季節が移り変わるように「自分」も変化していく。
変化が起こるタイミングは様々で、時には、こちらの「都合」はお構いなしに、突然、止むに止まれぬ形でやってくることだってある。
その変化の向こう側には、まだ見ぬ自分の可能性、来るべき新たな「自分」が存在している……のだけど、変わることは、今の自分にとってはリスクでしかない。”edge”が「障壁」として、変化を押し留めて、現在の自分(今のアイデンティティ)を守ろうとする——と、プロセスワークでは見立てていく。
(プロセスワークの「エッジ」について、詳しくはこちらをご参照ください)
今回の大会、村上選手は、日本国内での一流選手(現在のアイデンティティ)から、世界で活躍する選手(変化した先にあるアイデンティティ)へと、大きな変化・変容が必要なタイミングだったのだろう。
だけど、その変化は、簡単ではなかった。
人材育成の世界では「能力」と「実力」を分けて考える。
そして実力と能力のあいだには、「実力=能力×状態」という関係性が成り立つとイメージするとしっくりくる。
「状態」は、身体の状態や心理的な状態など、とても変わりやすいものだ。
村上選手の場合「能力」は十分だった。でも、それを発揮するための「状態」が整わず「実力」に結びつかない状況が続いていたのだろう。
そんな「状態」を作り出していたのは、変化を妨げる”edge”だったのではないか?と、村上選手を見ていて思った。
村上選手は、まるで崖から飛び降りるように、古い自分を自ら手放す必要があったのだろう。
いや、もしかしたら、村上選手はもう手放そうとしていたけれど、周りが気を遣いすぎて、それを押し留めていたのかもしれない。
”on the Edge”(崖っぷち)にいる彼を、もう見ていられない……
「なんとかして限界を超えてほしい」と思いながらも、どこかで「もう十分やっているよ」「これでいいよ」と現状維持を肯定したくなる私がいたのも確かだ。
予選リーグで、村上選手はこんな言葉を残していた。
別のタイミングではこんなことも話していたという。
この言葉を文字通りに受け取ると、既に村上選手のなかでは”崖(Edge)”を超えるができつつあったのだろう。
* * * * *
さて、話を戻してメキシコ戦、9回裏の場面。
村上選手の頭には「バント」がよぎったらしいのだが、応援している側も、そんな想いはなかっただろうか?
もちろん、打って欲しいとは思う。でも、これまでの不調を考えたら、手放しに期待するのが良いかが躊躇われてしまう。
チームの勝利のために、より確実性の高いバントを選ぶこともできる。
それに、この場面で打ちにいって結果を残せなかったとしたら、村上選手に大きなトラウマ経験を残してしまうのではないだろうか……なんて心配もよぎってしまった。
知らず知らずのうちに、崖を避けさせようとする感覚が働いてしまった。
でも、あの場面、栗山監督はそれをさせなかった。
「任せた。思い切って行ってこい」
そう言って送り出したという。
これは、村上選手の能力、可能性を、信頼しきっていたからこその言葉だったのだろう。
そんなプレッシャーが、”崖(Edge)”を超える後押しとなり、村上選手は、世界を相手に結果を出すプレイヤーへと進化していった。
* * * * *
この場面を見ていて、つくづく思ってしまった。
崖を目の前にした人と共にあるのは、簡単ではない。
たいていの場合”崖(Edge)”が問題になるのは「能力」の準備ができた頃だ。個人的な感覚としては、能力がないと「崖」の存在すら気づけない。
*「能力」と「実力」の差分の見立ては、支援する側の腕の見せ所だろう
「能力を実力へと転嫁させる」とは、”崖(Edge)”を超えるということ。そして、”崖(Edge)”は避けている限りは、超えられない。
とはいえ、崖は危険だ。避けたい、避けてほしいとその人を大切に思うからこそ感じてしまうこともある。
だけど、安全に渡れる橋ができる日(能力が高まりきる日)なんて、ほぼ永遠に訪れない。
次なる可能性へと飛び込むためには、どこかで勇気を出して”崖(Edge)”に対峙する必要がある。
もちろん飛び込むタイミングは、人それぞれだ。
準備ができたときに、自ら進むのがいちばんいい。
でも、愛のあるプレッシャーは”崖(Edge)”を超える後押しになる。
少なくとも「そっちは危ないから……」と心配して先回りして、崖を避けることを促すような言動はしてはいけないと、村上選手を見ていてしみじみと思ったのだ。
超えられるときには、必ず超えられる。
そう信頼しているからこそ、必要なプレッシャーをかけることができる。そんな支援者の在り方を、栗山監督からは学ばせてもらった。
というわけで、タイトルの問いに戻る。
崖っぷち(にいる人に、どんな言葉をかけるだろうか。
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