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「どんなエンジンかは関係ない、誰がハンドルを握るかだ」ーー発達理論と沖縄での少し不思議な体験について。

1月10日。note更新10日目。

今日は、ロングドライブで疲れ果てているから手短に。
記事もドライブつながりで。

「成人発達理論」関連の書籍を読み返していたとき、ロバート・キーガンが使っていたこの「例え」が印象に残った。

 情報を発信するときに自分が車の運転席に座ろうとするのか、それとも車に乗せて運んでもらおうとするのかは、知性のレベルによって決まる。
   環境順応型知性の持ち主は後者、自己主導型知性(自己著述型知性)の持ち主は前者を選ぶ。

(『なぜ人と組織は変われないのか ハーバード流 自己変革の理論と実践』P34)

参考:環境順応型知性、自己主導型知性

Self-Authorship Assessment(Integral Vision & Practice)


この部分を読んだとき思い出されたのは、昨年、沖縄のある場所を訪ねた時のこと。

その日の沖縄は、変わりやすいお天気。
基本は晴れているのだけど、急に雨が降り出したりと安定しない空模様だった。

次の予定まで少し時間があったから、パートナーと二人でお勧めされた場所に行ってみることにした。

お勧めされた場所は2つあった。

どちらも今いるところから車で10分くらい。
その日はずっとパートナーに車の運転を任せていたので、当然のように私は助手席に乗り込んだ。(車が彼のお母さんのものだというのもあった。誰かの車を運転するのはちょっと怖い……)

10分後、近いほうのおすすめの場に到着……
したのだけど、急に雨が強くなってきた。
「ギリギリ行けるかな?」と思って車を降りて歩いてみたものの、歩くほどに雨に打たれて、服は濡れ、最初にパートナーがギブアップ。

「もうムリ!」宣言のパートナーとともに近くのコンビニへ行き、ちょっとのあいだ雨宿り&気分転換。
だけど、やっぱり沖縄の天気は変わりやすい。
少し経つと、空が明るくなってきた。(雨はまだ降っていたけれど)


「今なら行けるかも?」と、もう一度、行ってみることにした。

今度は、私が運転席に座った。
「私が運転したほうがいい!」
私も、彼も、なぜだかそう思ったのでした。

そして、来た道を戻り、さっきの場所にいこうとしたのだけど潮が満ちてきて、もう行くのは難しそう。ならばと、もう一つお勧めされた場所に向かってみる。

ナビは設定していないから、完全に勘だより。
看板に注意しながらも、なんとなくこっちかな……で進む。
途中で自信を失い「どっちだろう?」と聞いたら、彼が何も見ずにひと言。
「こっちだよ」
私は、言われたままに車を走らせると、数分後、無事に到着。

到着した頃には雨があがっていた。
雲の谷間から陽が差していて、空も、海も、風も、とても美しい。

雨に降られた木々が、陽を浴びてキラキラと光って見える。

たどり着いたのは、この場所でした。
(とても美しいので、このページの写真、ご覧ください)

最奥部へ進み、手を合わせていた時、ひらめいた!

「ここに来るためには、私が運転席に座らなければならなかったのか!」

誰かにハンドルを握らせたままでは、たどり着けない場所がある。
私は、もう一度、そのことを学ぶ必要があったのかもしれません。

あともう一つ。
誰かに助言や相談を求めたりするからこそ行きたい場所にたどり着ける可能性が高まるということも、この体験が教えてくれていることだろう。

* * * * *

40歳で車の免許を取得してから、2年ちょっと。
最初は、怖くてアクセルを踏めなかったものの、今では、一人で高速に乗って神奈川←→茨城(実家)を行き来できるようになった。

運転って、やってみると結構楽しい。
同じように、自分主導の情報発信も、やってみると結構楽しい。

自分で主導して、自己を著述することの楽しさを味わい尽くす。
これも、私が毎日noteを書き続ける理由なのかもしれない。

明日もロングドライブだから、今日は早めに寝ます。
おやすみなさい。


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