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【ちょっといま暫く外出さして】

「ちょっといま暫く外出さして」と言ってリュックサックを背負って直立し、主の目をすっとだけ見てから玄関に向かおうかな、と思案してみる。
言ったところ、主は、なんで行くのだの何処に行くのだのをあうあう言いながら、悲しみと怒りに満ちた目でこちらを見てくる。
「ちょっと五日ばかりどっかに籠らして」と言い直しても、なんでなのだ、なぜその必要があるのだとイヤンイヤンしやがる。女みたいだ。
理由は全部、毎日言うてたよ。
もうこれ以上私に何も聞くな。毎日言うてたよ。
だのにその上まだ何か聞くのか。頭が悪いのだろうか。
「いいですか旦那、そんな難しいことじゃあございません。私が四、五日何処かへ行って一人で過ごすことができたなら、何もかもが良くなるんです」
やつはもう被害者みたいな顔をして、涙まで流してこっちを睨んでおる。
これだから嫌になるよ。そこらへんに手頃なアボカドあったっけ。それ握り潰して頭から豚汁被って身投げしたい。

これでややましな気分になった。
ところで、人間だものっていい言葉だね。だって八割方のことはこれでどうにでもなるやろ。なってしまうだろ。
そんなことを考えていたら、しまったことになった。バスが終点に着いたので席を立とうとしたら、鞄の荷物をバスの降り口のそこら中にぶちまけてしもうた。
帳面二冊、四色ボールペン、携帯電話、ポケットティッシュ諸々が散らばる事態によって、多くの乗車客が降り口あたりで往生して困っている。あちゃあ。私という人間が、未だかつてこれほどまで多くのものをぶちまけたことはあっただろうか?
否である。降り口付近に立っていた髪の長い女が散らばったものを拾い集めて渡してくれ、こちらに何か言ってるけれども、マスク越しなのでさっぱり分からない。
分からないよ、お姉さん。

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