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女性としての在り方、生き方

結婚前は、よく本を読んでいて、毎日残業続きで仕事に一生懸命だったころも、一日1、2冊は読んでいました。
それが唯一の癒しの時間で、ヒートアップした頭をクールダウンする方法でした。
よくお風呂につかりながら、お湯が冷たくなるまで読んでいました(笑)

まんべんなく読むというタイプでもなく、また文学が好き、というタイプでもないので、完全に趣味嗜好が偏った本を読んでいたとは思います。

とはいえ、仕事術や自己啓発系、一般小説、ファンタジーなどなど色々読んではきました。


一番好きな作家さんは、瀬尾まいこさんなのですが、有川ひろさんも好きでお二方の本はほぼ全部読んでいます。
子供が生まれてからのものはまだ読めていないものもあるかもしれませんが・・

そう、なぜふとnoteを書きたくなったかというと、脚本家の野木亜紀子さんと監督の塚原あゆ子さんの映画「ラストマイル」がこの夏に上映される、という発表を見て、お二人のドラマ作品のことや、転じて野木さんが脚本を書かれていた「空飛ぶ広報室」のことを思いだしたのです。

空飛ぶ広報室は、航空自衛隊を舞台にした有川ひろさんの小説が原作なのですが、セリフの中に
女とか男とか関係なく普通に仕事がしたいだけ」
男と女が、男と女にしかなれない世界なんてつまんないと思う」
女を武器にするのも、女を捨てるのも嫌
というものがあったんですね。

MIU404というドラマの中にも
「ただここにいて働いているだけなのに」
という、❝女だてら❞に隊長をしている女性隊長のセリフがあるんです。


有川ひろさんの作品や、野木亜紀子さんの作品では、そういう世の不条理さみたいなのをサラっと語っているシーンがところどころあって。
私はそういうところが好きなんですよね。

小さなことなんだけど、私たち女性の声を拾ってくれているような気がする、ということと、世の中に対するほんの少しの批判というか気持ちというか。

かといって別にそこに絶望しているとか、だから世の中ダメなんだ、とかじゃなくて、そういうところ問題だよねってさらっと指摘していたり、それぞれの視点や考え方、価値観があっていいよね、というのが表現されていたり。



ごく個人的な話ですが、小さい時に「自立しろ」と母親に言われ続けていました。
やっぱりそれも「これからは女も自立しなきゃ」とか「何かあっても(たとえば離婚しても)一人で生きて行けるように」とか、そういう意図があってのこと。

そして、社会人になって、世の中が完全に「男性社会」であり、女性がこの中で生きていくには「男性にならなければならない」ということを痛感しました。
もちろん業界的なものもあるのでしょうけれど、「ちゃんと働く」ために、「この今の社会で通用する」ためには、「男に負けない」ように、「男よりも働いて成果を出す」ことが必要なんだ・・ってことはすぐに感じました。
その割には「女性らしさ」を求められたり、「もっと女らしくした方がいいよ」的な(ここまで直接的な表現ではありませんでしたが)ことを言われることも多かったし、逆に女だからこそおじさんたちにひいきしてもらって手伝ってもらえた、なんて得した場面もあります。

直接的に「これだから女は」と言われたことはありませんが、結婚するときも、嫌なことを言ってくる男性もいましたし、出産や育児のときにも、やはり直接的ではありませんでしたが、お小言を言われたり影で言われている風のときもありました。
もちろん迷惑をかけたり、協力してもらったこともたくさんありましたし、一概に悪いことばかりたくさんあった、と言いたいわけではありません。


が、そもそも出産は悪いことですか?
育児は女性だけがするものですか?
なぜ、子供が風邪を引いたら、ほとんどの場合母親が仕事を休まないとだめなのですか?
家事のほとんどは女性がするのが当たり前で、男性は「手伝い」をしただけでほめられるのですか?
なんで「イクメン」なんて言葉があるんですか?

ということは最初から疑問でした。

確かに向き不向きはあると思うし、性別による適性の違いもあるでしょう。


なら、仕事もそうじゃないでしょうか?

なぜ、男性に合わせてこそ「仕事ができるヤツ」という判断をされるのでしょう?

いつまで「男性社会」「ピラミッド社会」をやり続けるんだ?
と思います。


私は家事も育児も得意ではないし、むしろ夫の方が向いているかもしれないと思いますが、それでもやっぱり「当然やるのは私」な雰囲気はあります。

その補佐として夫が入る。
私ができないとき、やりたくないときに、夫がやってくれる。
そしてそこに「感謝しなければならない」。

夫は十二分にやってくれているし、文句が言いたいわけではないのですが、「なぜ私が当たり前になっているのか」は、やっぱりずっと疑問に思っています。

夫がやったときには最大限の感謝を示さないと、「ありがとうと言ってくれない」と言われ、私がやったときには確かに「ありがとう」は言ってくれますが、見ていないであろう家事、ありがとうと言われていない家事は山ほどあります。
それをやっていることを気づいてすらいないと思うし、まして自分がやろうという気はさらさらないわけです。

なぜ??

それって、やっぱり女性がやるもの、という大前提があるからですよね。
そして今私は会社員ではないので余計に。

会社員であったときも、結局そういう積み重ねがしんどかったです。


文句や愚痴が言いたいというわけではなくて、ただ疑問なんです。

夫本人へもありますが、それ以上に社会に対して。


そして、女性が自立できない理由の1つには、やはり出産や育児があるのではないでしょうか。
出産や育児期間に仕事をやめてしまうと、現実問題、その後、「正社員」として働くことが難しいですよね。
パートやアルバイトとして働くことがほとんどです。

正社員になれたとしても、それをずっとやり続けられるのは、じいじばあばが身近にいる人が多いですよね。
核家族でこどもが小さいと、どうしても風邪で休んでしまったり、行事で休んだり、ということが増えます。
その度、「迷惑をかけたことを謝り、フォローしなくてはならない」ことになります。

そういうことが予測できてしまうから、やめる人も多いですよね。


また、そもそも給与が低いこともありますよね。
事務職や一般職だと仕事ができる人だったとしても、総合職や技術職と比べると給与が低いです。
また女性が多い保育士さんや介護士さんも業務の大変さの割りに、給与が低いのが現状です。

これって、そもそも男性が優位になるように社会構造がなっていませんか?

比較的女性がつきやすい職業の給与が低く、男性がつきやすい職業の方が給与が高い。
そして給与が高い職業を目指すということは、男性っぽく働くことを無言の圧力で強いられる。
しかも強いられていることにすら気づかないようになっている。


私は、出産を経験できたことがラッキーだと思っているし、女性じゃなければよかったとは思ってはいません。
でも、いわゆる「女性らしさ」とか「家庭思い」とか、そういうのを求められるのがしんどいなぁと感じてしまいます。

女性を武器にしたいとも、女性であることを卑下したりもしたくない。

けれど、現実そうじゃないと生きにくい場面が多すぎるなぁ、と思うのです。

特に、「普通」の社会で生きようと思うと。


別に「普通」から外れたらいいし、今さらステレオタイプに従って生きようなんてことは思っていないのですが、女性自身も気づかないうちにその枠の中にはまっていて、問題視していなくて、でも不条理さはどこかで感じている・・という状況が嫌だな・・と思うんですよね。


性としての女性らしさは活かしたら良いと思うのですが、もっと「個」として生きられる世の中になると良いですよね。

ただの「わたし」として、それがたまたま女という性を持って生まれてきていて、それゆえのいわゆる濃やかさだったり、気遣いだったり、母性みたいなものは認めつつ、でも、「わたし」が本当の意味のそのままありのままの「わたし」で生きられる世の中であってほしい。


もしかしたら男性も同じように感じているのかもしれませんが、少なくとも社会で自立して生きていくという意味においては、男性は優位です。

それが端的に子供っぽく言ってしまえば、ずるい、と思ってしまいます。

多分私が小さい頃から「自立しろ」と言われ続けてきたことに起因するのだろうとは思いますが・・

体力は男性以下なのに、男性以上にがんばって、論理的思考になるよう無理やり頭を持っていって、感情的にならないようにして(これだから女はって思われるからね)・・ってやってもまだ対等にはなれなくて、さらにそれ以上がんばらないとならないんですよね。

一方で生活を自立させるという意味ではまだまだだな人が多いですよね。
ご飯を作れない、洗濯できない、片付けできない・・みたいな人、いまだにいますよね。
最初からお母さん、奥さん任せ・・みたいな。

と、話を戻しますと、女性が社会的自立に不利なのは、女性の管理職率とか、大臣の数などを考えれば、一目瞭然です。

しかも、それが問題視されて、逆に「女性だから」という理由で管理職として登用しよう、という動きがある・・

違和感しかないですよね。



単純に「能力がある」からという理由で抜擢すればいいのに。

そしてその「能力」は、「男性と同じとは限らない」ってことをよく知っておくべきだということです。

チームを円滑にすることで、会社の目標に貢献した、とか、アイディアが良いから、とか、人材を育てる力がすぐれている、とか、時には目に見えないところでの能力なのかもしれないということ。

そもそも、男性の管理職だって、「数字」を残したから、「結果」を残したから、というより、どれだけ上司と懇意にしているか、言うことを聞くか、自分を本来の力よりもよく見せられているか、プレゼン力が高いか、とかなわけですよね。

そこから違和感だらけなので、ちゃんとした「評価」ができるようになっていかないと、時代に合わなくなるのだと思います。


そう、もう時代は変わっていきます。
女性がどうとか男性がどうとかいうよりも、おそらくこれからは、それぞれの人の個性が大事になり、平等に扱われる世の中になると思います。

性を含んだ個性というものを大切にする、ということですね。


これは占星術で見ていてもそうだし、日本よりそういったことが進んでいるアメリカの様子を見ていてもわかります。

おそらく日本は今後数十年をかけて、変わっていくだろうと思います。
(と同時に欧米では、もっと進んでいくかと)

その中には私みたいに考える人も多くなると思うし、または、そんなこと考えなくても良い世の中になっていくのだと思います。


有川ひろさんや野木亜紀子さんが実際のところどう考えているか、はわかりませんが、察するに「女性のままで、それも含んだ個性を大切にできるといい」と考えていらっしゃるんじゃないかなと思います。

そして、そういうメッセージをライトにさわやかに軽やかに、小説や映画、ドラマに散りばめてくださるんじゃないかな、と。


私はこの話には内心ではちょっとムキになってしまうところがあるのですが、占星術を通してとか、日々の在り方やこれからの生き方で、「生きたいように生きられたよ!」ということがお伝えできるようになっていこうと思います。

まだまだ修行中&発展途上ですが(笑)

こうして文章には書きましたが、普通の会話でムキになって話すことは多分めったにないと思いますのでご安心を・・(?)


こうなったらいいのに!
なんでこんな世の中なんだ!

と毒づいたところで一朝一夕に変わるモノでもないですし、なんの解決にもならないですからね。
在り方と行動とで、さらっとやっていけるよう精進します。


ということで、ステキな週末を!


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