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ことばへの興味の原体験

まだ小学校に上がる前だったと記憶している。
母に「ねえ、お母さんに絵、描いてあげようか?」と言った。
すると母はまじめな顔で
「あのね、人に向かって『〜してあげようか?』って言ったらダメよ」
「そういうときは、『絵、描こうか?』とか『描きましょうか』って言うの」
と言う。

別の日、晩ご飯に卵かけご飯を食べたくなった私は、冷蔵庫にたまごを取りに行った。2つ目のたまごを取ろうとしたら、手が滑って床に落ち、グチャっと音を立てて割れてしまった。
べちょべちょになった床を見ながら、「おかあさーん、たまごが落ちたー」と言うと、母はこちらに向かいながら「たまごが落ちたんじゃない。あんたが落としたの。たまごは勝手に落ちないの」と言う。

「あげもらい」に「自動詞他動詞」。
日本語学習者がぶつかる壁に、日本語ネイティブの幼き日の私も直面していた。

この二つの出来事は、今でも強烈に印象に残っていて、
子どもながらに「日本語って難しいなぁ」と思ったものだ。
ちなみに母は専業主婦で、日本語教師ではない。


母が私をしょっちゅう図書館に連れて行ってくれたおかげで、本をよく読む子どもだった。母に「これどういう意味?」と毎日のように聞いていた。
小学校にあがると、入学祝いに両親が国語辞典を買ってくれ、辞書の引き方を教えてくれた。
朱色の表紙の子ども用の国語辞典。
なんだか大人になったような気がして、嬉しかった。
わからない言葉があると自分で辞書を引き、暇なときは、辞書を適当に開いて読むこともあった。
知っている言葉を別の言葉で説明するとこんな風になるんだなと毎度新たな発見があって、単純におもしろかった。知らない言葉もたくさん覚えた。
そうして覚えた難しい言葉を、大人相手に得意げに使ってみたりもした。
6年生になる頃には、辞書はぼろぼろになっていた。

日本語教師になるなんて、幼い時は思ってもいなかった。
日本語教師という仕事の存在も知らなかった。

それでもこうして振り返ってみると、
「ことば」に関する記憶がやたらと多いことに気づく。
たとえ日本語教師になっていなかったとしても、
おそらく「ことば」に関わる仕事はしていたのではないかと思っている。

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