父の日に

 今度の日曜日は父の日。

 お父さんはきれい好きで、私が22歳の時に2度目に建てた新築の家では、日曜日白シャツとステテコという下着姿で、午前中いっぱい床にワックスを塗ってピカピカに磨いてた。

 時代のせいか、いや違うな、子どもの頃のお父さんの思い出は、テレビで漫画を見てるのに帰って来ると何も言わず野球にチャンネルを回しちゃう。どうしていつも漫画の途中に帰ってくるのかと思ってた。
 弟とはキャッチボールをして楽しそうにしてるんだけど、私は結構大きくなってからも追いかけてきて、ぶたれたり蹴られたりしてた。特にお母さんがやられる時は黙って見てられなかったからね。お母さんには返事をしない、私には口の利き方が悪いと本気で怒ってた。
 家族旅行は、一度だけ軽井沢に一泊。玄関を出る時、もうお帰りですかと宿の人に言われ、それが何故かとても恥ずかしかったのを覚えている。それしかないから、雲場池のほとりでお母さんが縫ったツナギの服を着て撮ったたった一枚の写真が今でも瞼に浮かぶ。
 毎週のように週末は、友達が車で迎えに来て、ゴルフの練習やコースに出て家にはいなかったけど、フジヤのハート形ピーナッツチョコやゴルフの商品をお土産に持って帰ってきてくれた。ホールインワンの大きなカップは、2回持ち帰ったんじゃないかな。

 仕事を定年退職してからは母が熱心に通っていた教会にも通うようになったんだけど、それまでは信仰の話がでる度に、強制するなと何度も何度も大声でケンカしてた。
 再就職して、新しい環境に馴染めなかったのは、病気が進行してたせいもあると思う。役職がついてた立場からヒラ社員に戻り、トイレ掃除をさせられる、と辛そうにしてた。

 私が大学生になると、たまに一緒に駅に行くようなこともあって、そんな時は、さきちゃんこれで美味しいものでも食べなよ、と500円玉を渡されることもあった。もっと早くそんなふうに普通に話ができてたらよかったのにな、と思う。

 仕事とゴルフで家にいないお父さんを、大好きだったお母さんを通してしか見ていなかったので、父のことを、人としても父としてもよく知らなかったし、それはきちんと関わってきていなかったからだと思う。お父さんという人をもっと早くに知って、ちゃんと仲良くなれてたら、といつも悔やまれる。

 お父さんのお葬式のとき、弟が親族への挨拶で、父は姉を理想の女性に育てたかったのだと思う、と話した。そうだったの?とも思ったけど、毎日の生活の中で味わう私の父への確執はそんなキレイゴトでは済まされないと思ったのも事実。

 でも今となっては、お父さんに全部感謝してる。それは私の理想の夫像は、おおらかで優しく、家族思いで、絶対に声を荒げない人、というものだったから。そしてそんな夫と巡り会えたから。

 間も無く父の日がやってくる。直接伝えることはできないけれど父を思い出し、父に話をしたいと思い出させてくれる日だ。
 そんな日があって、よかったよ。


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