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日記 2021年5月 くまの「ぬいぐるみとしゃべる人」として生活する。

 5月某日

 オードリーのオールナイトニッポンを聞いていて、若林のフリートークが面白かった。

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 自分の好きなアメフトのパーカーをお店で見つけて、買った後の自分を想像して、「一週間はワクワクできるんだろうなぁ」と思い浮かべて、結局は買わずに店を出る。
 眼鏡でも幾つものフレームを試着して、気に入ったものを見つけて、買った後の想像をした後に、結局は買わずに店を出る。

 若林いわく、「買ったら終わっちゃうから」とのこと。
 そして、この気持ちむちゃくちゃ分かる。

 先日、アー写を撮ることになった友人との散歩の日、ふらりと古書店に寄った。そこで、僕が高校時代から欲しいと思っていた「チボー家の人々」が格安で売られていた。
「これ、昔好きだった本の中で使われていて、ずっと欲しいと思ってたんです」
 と言うと、「買わないんですか?」と友人に尋ねられた。

「うん、いいかな」と言って、散歩の途中だったから荷物にもなるし、と言い訳っぽいことを付け加えた。
 その後、散歩も終わりかな? というところで「あの本、買わなくて良いんですか?」と改めて友人が尋ねてきてくれた。
 良い人だなぁ、と思いながら、「買わなくていいかな」と答えた。

 なんで、僕は買わなくて良いと思ったんだろう? としばらくの間、考えていたのだけれど、オードリーの若林のフリートークで、終わっちゃうことが寂しいんだって気づいた。

チボー家の人々」は僕が高校時代から欲しいと思っていた本で、そういう本って実は他にない。高校生の頃の僕が思い描いていた「チボー家の人々」なんて、絶対に間違っているのだけれど、その答え合わせをすると本当に終わってしまう。

 終わってしまうって、何がだろう。
 よく分からないけれど、それがちょっと寂しいことな気がしている。

 5月某日

 はじめてアボカドを買った。

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(写真を撮り忘れたので、ネットで拾ったアボカド様)

 僕がはじめてアボカドを知ったのは二十歳くらいに連れて行ってもらった鉄板焼きの居酒屋だった。そこで、アボカドの刺し身なるおつまみがあって、友人がそれを頼んだ。

 醤油とちょっぴりのわさびで食べる、アボカドの刺し身は思った以上に美味しかった。見た目のせいか、フルーツな印象もあったが、甘みはなかった。
 それから、アボカドと海老をマヨネーズで和えたものを食べてから、僕はアボカドが好物のリストに入れた。

 スーパーでアボカドを見かける度に、僕にはまだ早いとよく分からない理由で買うのを控えていた。もっと大人になってから、アボカドは買うんだ。
 そんな意識でいて、自炊も日常的にするようになった昨今、そろそろアボカドを買える大人になったんじゃないか、と少し緊張しつつ、購入。
 その際に、ついでに海老も買った。
 給料日だったのだ。

 アボカドを剥く動画を繰り返し三回見てから、いざ、アボカド剥きを。
 タネを取るのに苦労したが、その他は動画通りにできた。
 茹でて冷水で冷やしていた海老とアボカドをマヨネーズで和える。マスタードがあると良いとあるが、ないので七味を入れてみた。

 はじめてにしては、美味しくできた気がする。
 今後はアボカドマスターになる為、頑張りたい(今回、アボカドの正式名称が「アボガド」ではなく、「アボカド」だと初めて知りました)。

 5月某日

 新潮4月号に掲載されていた小山田浩子の「点点」を読む。
 最近、小山田浩子は「小島」という短編集を出していて、その中にも「点点」は収録されている。

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 書評家の豊崎由美が「いきものがかりでカープがかり」という書評を寄せていた。この書評が良かったので一部引用したい。

 小山田浩子のことを日本文学界の「いきものがかり」だと思っている。言うまでもなく、音楽のほうのそれではない。小説家の大半は「にんげんがかり」で、小説の多くは人間だけを中心とした世界を描こうとしているのだけれど、小山田浩子はちがうのだ。植物も含めた生き物全体の係なのである。デビュー作の「工場」からしてそうだった。

 確かに僕が書いてきた物語は「にんげんがかり」だった。
 そして、小山田浩子の小説を読むと、虫とか動物の描写が生き生きと描かれ、人間中心の世界からは少しずれたルールで動いている印象がある。
 文學界の2月号に掲載されていた「はね」もヤゴの羽化が詳細に描かれていて、本編の中に「ペットもなにも、人間が動物にすることっていうのは全部残酷だね」と言う一文もあった。
 実際、その通りだと思う。

 そして今回、豊崎由美いわく「短篇集の最後のほうに連続して置かれた三篇「異郷」「継承」「点点」によって、小山田浩子がいきものがかりであるばかりか、広島東洋カープがかりでもある」とのことだった。

 広島出身の僕からすると見逃せない、と思って「点点」を読んだところ、もちろん広島東洋カープでなければ成り立たない話になっているんだけれど、掌編としてのクオリティが高すぎてそちらに感動してしまった。
 こんなに面白い掌編を書く作家の新作をこれからも読める時代に生きている、ってことが嬉しくて仕方がない。

 5月某日

 人生、楽しんだものが勝ちでしょ?
 という単語を見かけて、何に勝つんだろうと思う。

 5月某日

 大前粟生の「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」を読み始める。文体が軽快で読みやすい。

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(表紙最高じゃありません?)

 主人公が「「男」と「女」は分れてる、みたいなことばが」苦手な男の子で、そんな彼が属しているサークルがぬいぐるみサークルだった。
 そのサークルの目的は、

 つらいことがあったらだれかに話した方がいい。でもそのつらいことが向けられた相手は悲しんで、傷ついてしまうかもしれない。だからおれたちはぬいぐるみとしゃべろう。ぬいぐるみに楽にしてもらおう。

 とのことだった。
だからおれたちはぬいぐるみとしゃべろう。」とある通り、創設者は男の子だった。創設者だけれど、ぬいぐるみサークルの部長になったら、女の子が入りにくいだろうから、と考え、「でも自分がいることで男の子が入りやすかったりするかもしれないと考えてずっと副部長でいる」とのこと。
 優しさと生きづらさを抱える男の子で、そんな彼にぬいぐるみがあって良かった、と思いながら読む。

 他にも色んな感情を抱えた人たちがぬいぐるみと喋っていくのだけれど、主人公の男の子はぬいぐるみと喋らない。
 彼が最後にぬいぐるみと喋るのがラストなのかな?
 全部、読んでしまうのが惜しいので、ゆっくり読む。

 5月某日

 最近、気づいたこと。
あの海に落ちた月に触れる」を読んでくれた知人から、「山田詠美っぽい空気を感じた」とLINEをもらう。
 そういえば、「あの海に落ちた月に触れる」を書いた当時、山田詠美の「ぼくは勉強ができない」の模写をしていて、時田くんみたいな主人公を書きたいってなっていたのを思い出した。

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 最近、気づいたこと。
ザ・ボーイズ」を見る。倉木さとしからのオススメだった。

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 民間企業が特別な力を持った人たちをヒーローとして雇用し、人気商売として悪を成敗していくが、その裏で身勝手なヒーローたちの行動によって最愛なるものを奪われた人たちもいた。
 そんな特別な力を持っていない彼らが腐敗したヒーローに復讐していく物語。
 まだシーズン1の5話までしか見ていないけれど、面白い。
 ただ、腐敗したヒーローたちのやり放題が見ていて、結構辛い。
ゲーム・オブ・スローンズ」のジョフリー・バラシオンが早く不幸になれって願って見ていた頃を思い出す。

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(コイツだけはまじで、ホント、腹立ったわ!)

 最近、気づいたこと。
 ポッドキャストで「生活が踊る歌」音楽ジャーナリスト高橋芳朗とジェーン・スーの番組を聴く。十分ちょっとのものから、五十分を超えているものまで様々なのだけれど、洋楽を中心にした音楽ニュースから、高橋芳朗が作成したプレイリストの解説が心地良くて、ハマる。
 家事しながら程よく知識欲が満たされ、音楽を聴きたくなるなんて最高すぎる。

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 最近、気づいたこと。
 ジェーン・スーが気になっている。佐久間宣行のラジオにゲスト出演したのもあったし、今しているドラマの「生きるとか死ぬとか父親とか」がジェーン・スーの自伝的なエッセイが原作である、というのもある。

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 ブログを書いていたらしいと、佐久間宣行のラジオで語っていたので、調べてみると2014年くらいの頃のものがヒットした。
 そして、その内容が最高だったので、少し引用したい。

 大切な女友達が男と別れました。
 
 ちゃんと付き合って、ちゃんと別れた。大人だからね。
 
 これからは、コックピットに入ってきたオーバーヒートのF1カーを
 
 女友達というメカニックが、至れり尽くせりでケアするのであります。
 
 大丈夫、すぐに車道に戻したりはしないから。
 
 ただ、素早く黙々とやるよ、私たちは。
 
 手慣れたもんだぜ。

 友達が彼女と別れた後、「至れり尽くせりでケア」できてきただろうか? と思うが、まったく自信がない。
大丈夫、すぐに車道に戻したりはしないから。 ただ、素早く黙々とやるよ、私たちは。 手慣れたもんだぜ。
 ただただ格好良い。

サポートいただけたら、夢かな?と思うくらい嬉しいです。