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雪が溶けるとき白さは何処へ行くのだろう。

 あけましておめでとうございます。
 旧年は大変お世話になりました。
 皆さま、今年もよろしくお願い致します。

 31日から実家に帰っておりまして、ずーっと誰かと喋り続けている帰省でした。しかも、むちゃくちゃ真面目な話ばっかりで、休めた感じはゼロでした。

 三週間くらい実家に帰った時のエッセイを書いても良いのでは? と思うレベルだったんですが、とりあえず、写真だけで流れを残しておきたいと思います。
 ホント気づいた時にパシャッと撮っているだけですので、たいした写真はないのですが、「へぇ、こんな感じだったんだ」と思っていただければ幸いです。

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 広島に近づいたパーキングの屋根には雪が薄く積もってた。

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 広島に到着した瞬間、何このビルってなる。

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 実家に近づくと山が増えるし、やっぱり雪が……

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 実家に帰って父親が買って(母親が世話を拒否ったらしい)花が。

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 親父にドヤ顔で「生ジョッキ缶」ビールを滔々と説明する。
 その後、僕と親父は酒を飲みすぎて、年越しを二人とも爆睡で迎えた。起きた時の母様の「あけましておめでとう」の置手紙を読んだ時の切なさと言ったら……

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 実家だなぁ、と思う一瞬。

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 母様がもっとも力を入れている本棚。帰省中、ずーっと母様と「3月のライオン」の新刊の話をしてた。

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 実家で一番近い神社。
 初詣に行くと言うと、父親が「ワシも行こうかな」と言い出して、横には親父がいた。
 父親と二人で散歩って何十年ぶりなんだろ? 下手したら20年ぶり……

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 中腹くらいで父親が「もう、しんどい」と言い出す。ガンバ☆と励ます。

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 夜、母様が作ってくれたおせちをいただく。

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 1日遅い年越しそば。
 そばとおせちを食べていたら、弟と後輩が挨拶しに来る。後輩は両親からすると第三の息子で、僕と弟が来たことよりも喜ぶ(なんでやねん)。
 ついでに後輩は去年、結婚していたので、なんかそんな話になる。

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 僕の第三の故郷と勝手に呼んでいる「ゆめタウン廿日市」の屋上の駐車場。

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 廿日市市には「けん玉商店街」なるものがあって、けん玉発祥地と言われている。そのせいか、ゆめタウン廿日市はけん玉を激押ししている。

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 帰りの広島駅内にあった、お洒落な時計。

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 広島に到着した途端に気になったビルの近くに行ってみる。

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 広島の路面電車の歴史をちょっと調べてたので、次回は乗りたい。

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 広島駅から一番近い本屋が潰れていた(改装中なのかもだけど)。
 学生時代も、大阪に行ってからも帰ってきたら必ず行っていたので、すげぇショックだった。

 広島駅周辺って工事されて学生の頃から比べると変わって来ていたのだけど、まだ知っている場所はあるって思い続けていて、ここにきて時代の波が来た感じがあった。

人も物も街も変わらないものはないんだなぁと思う帰省で、物でも人との関係でも維持するには、それなりの労力が必要なんだよなぁと実感もした。
 何十年後、広島駅に下りた時、懐かしく思えない時が来るのかも知れない。
 そう思って生きて行こうと思う。

サポートいただけたら、夢かな?と思うくらい嬉しいです。