見出し画像

最後の晩際じゃないけど、なに食べたい?

 友人の一人に三十代を手前に小麦粉アレルギーが分かり、食に関する接し方が180度変わった人がいます。
 彼いわく、当時付き合っていた彼女がいなければ死んでいた、とのことでした。
 二十代の間アレルギーの存在に気づかず、口にしていた食べものがある日突然、食べられなくなるというのは、僕にとって想像を超える苦しみと恐ろしさに思えました。

 そんな友人は小説を書いています。ひょんなことから、ツイッターなどのSNSで載せられる短くキャッチーな小説を書くなら、どんなものがいいかな? と訊ねられました。
 僕は上手く答えられなかったのですが、ただ友人に食事シーンがメインの掌編を量産して欲しいと伝えました。
 
 小麦粉アレルギーによって死にかけた彼の経験は普通の生活の中では感じられないものですし、アレルギーが分かってからの彼の食への姿勢も変わった部分はありました。
 それを書くだけで、キャッチーかどうかは置いておいて、読む意義のある文章になる気がしました。

 さて、友人にそんな提案をしたのだから、僕自身も特別と思える食事を伝えるべきだな、と考えてみました。
 浮かんだのは高校二年生の時の食事でした。

 その前日に、父が僕に「お前には実は兄がいる」と言い出しました。
「明日、お前の兄が家に来るから」
 そこで僕は父がバツイチだと初めて知りました。

 僕は長男で、母親に「兄が欲しかった~」と冗談で言っていた時期があったのですが、全然冗談になっていなかった訳です。
 本当に勘弁してほしいです。

 当日、普段では考えられない豪華な料理が食卓に並んでいました。我が家に訪れた兄らしい人は、食事の間中一言も言葉を発しません。
 父だけが陽気に、あーだーこーだと喋っていました。

「困った時には頼っていいんだぞ」「俺とお前は血が繋がっているんだから」「相談はいつでも応えるからな。まぁ、その時はこんなに豪華な食事にはならないだろうけどな(爆笑)」

 母はずっとキッチンで何かしているようでした。そんな中で僕と弟は食事をしていました。
 確かに豪華な料理です。しかし、味を一切感じませんでした。
 それよりも、この場から去りたいという気持ちが強かったのを覚えています。

 結局、兄は僕らにも父にも、一言も言葉を発することなく帰って行きました。
 その時のことを思い出す度に、あれは兄の完全勝利だったと思います。

 兄からすれば、血が繋がっているだけの父親の新しい家族のもとへ一人で行って、食事をするのです。それがどれだけ孤独で、覚悟を必要としたかを想像すると僕は名も知らない兄を賞賛したくて堪らなくなります。

 あの日、兄は自ら血が繋がっただけの父と確かに決別したのです。
 今となってはもうあの食事会が本当にあったことなのかも定かではありません。父も、母も、弟も、その兄の話を一切しないからです。
 そして、その事実こそが、兄が勝ち取ったものなのだと思います。


サポートいただけたら、夢かな?と思うくらい嬉しいです。