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映画「ノルウェイの森」のロケ地「砥峰高原」に行ったので、改めて映画も見てからの写真紹介。

 映画「ノルウェイの森」の冒頭はワタナベトオルとキズキがチャンバラごっこっぽい遊びをしているのを直子が笑って見ているシーンから始まる。
 そこから二シーンから三シーンはキズキと直子が一緒に寄り添うようにしていて、仲の良さが窺える。
 ワタナベトオルの独白があった後、キズキが自宅のガレージでN360の排気パイプにゴムホースをつないで、窓のすきまをガムテープで目ばりしてからエンジンをふかせる。
 この自殺シーンは映画開始3分で始まる。

 映画の「ノルウェイの森」はラストシーンはワタナベトオルが緑に電話口で「あなた、今どこにいるの?」と問われ、どこにいるのか分からず途方に暮れる。小説はここで終わる。
 けれど、映画は以下の文言が入る。

季節をめぐってくるごとに、ぼくと死者たちの距離はどんどん離れていく。キズキは十七のまま、直子は二十一のままだ。永遠に。

映画「ノルウェイの森」より

 そして、エンドロールに入る。
 映画「ノルウェイの森」は徹頭徹尾、生者の為の映画として描かれている。原作の小説が死者の為に描かれていると言うつもりはないけれど、映画よりは死者の影響力は強く描かれている。

 さて、今回は映画のロケ地である砥峰高原に行ったので、その写真を紹介したい。砥峰高原は兵庫県にあり、「西日本で有数の約90haに及ぶススキの草原が広がる高原」とのこと。
 また「春には緑の大地に可憐な花々が咲き、初夏には涼風にのって小鳥のさえずりが聞こえ、秋には秋の七草が彩りを添え」ると「兵庫県神河町 公式観光サイト」では紹介されている。

 僕は6月の頭に行ったのだけれど、「初夏には涼風にのって」と言うように、ハイキングコースを歩くとほどよく涼しい風が吹いていた。

 夏の砥峰高原の光景は映画「ノルウェイの森」では前半に出てくる。直子が療養している施設にワタナベトオルが訪ねて、二人は朝方の薄暗い砥峰高原を歩く。
 そこで直子が殆ど初めて血を吐くようにキズキのことや自分の感情を吐き出す。その吐露をしながら直子はずっと歩いていて、ワタナベトオルはその横をついていく。
 最初は隣で、途中から後ろ、直子が走り出した瞬間にワタナベトオルは一度、躊躇するように立ち止まってから、直子を追いかける。

 そのシーンをどのように解釈するかは見る人に委ねられるのだろうけれど、直子の感情的なものと砥峰高原の途方もない光景は繋がっているように見えた。
 あのどこまで行っても寄り辺のなさはキズキを失ったあとの直子の絶望そのものに思えて仕方ない。歩いても走り出しても望んだ場所には辿り着けない絶望。
 そして、それを戸惑いながらしか追いかけられないワタナベトオル。砥峰高原の光景は映画内のワタナベトオルにとっても一種の絶望の場になってしまっているんじゃないか、と思う。
 小説ではその草原の中に野井戸がある、という話だったけれど。映画はそんなものはなく、ただ茫漠と広がった果てしのない絶望。
 あくまで僕の解釈だし、映画を見れば砥峰高原は決して二人にとって絶望だけの場所ではないと言うことも分かる。けれど、どんなに考えを巡らせても最後には絶望の結論に辿り着いてしまうのは、そこで直子が二十一歳で死んでしまったからだろう。

 写真は晴れた綺麗な光景ばかりです。けれど、果てのない感じとか、どこまで行っても寄る辺のない寂しさみたいなものは伝わるかな、と思います。

もう途方もない。
大阪の都会に住んでいるから、砂利道が新鮮。
ハイキングコース前に池?があった。
小川?
ハイキングコースは二つあって、階段を登る方を選択。
結構登った気分。
どこまでも緑。
さっき通った道が遠い。
振り返ると、もう入ってきた道も見えない。
砂利はまったくない道。
うーむ。
太陽が目の前に。
え、これは道で良いの?
向こうにも道っぽいものは見える。
近いようで遠い。
ハイキングコース歩ききったら日は暮れた。

 ハイキングコースを全部歩くのに二時間ほどかかった。途中から、これは道なのか? と不安になる部分が多くて、写真を撮る余裕もなかった。
 ただ、ハイキングコースを歩いている人たちは他にもいて、あの人たちもここを歩いたんだと思って進んだ。

 途中、高台みたいなところがあって、そこで若者三人(男二人、女一人)がいて、「やっほー」と叫んだりしていた。途中で女の子が「仕事辞めたーーい!!」と叫んでた。
 あのハイキングコースを歩き通せるなら、全然辞められるよ!と思った。

 ということで、砥峰高原のハイキングコースは意外と過酷なので軽装で気軽に挑むと、え? 大丈夫? って気持ちになっていくので、それなりの準備をして歩くことを勧めたい。


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