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観光客として住む、歩く、そして書く。

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短いエッセイをまとめています。姫路に住んでまだ一年弱。結婚してまだ一ヶ月。あらゆることが新しく見えるさとくらのエッセイです。
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2024年6月の記事一覧

不機嫌が通貨になった世界で考えること。

 内田樹が「下流思考」の中で家庭内の通貨は「不機嫌」だと書いている。  いかに自分は会社…

さとくら
3週間前
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正解のない自己紹介の流儀と葛藤。

 三十三年間生きて思うことに自己紹介を上手になりたい、がある。  思い返す限り上手に自己…

さとくら
3週間前
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泣き言と共に二度寝する六月の土曜日。

 テレビで夏は長袖で寝た方が汗が逃げないので体を冷やしすぎないので良いと言う話を見た。今…

さとくら
1か月前
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執筆には役に立たない「書くこと」と「読むこと」の関係性について。

 本を読んでいるか?  と問われれば自己認識では読んでいないと答える。ただ、読むことは大…

さとくら
1か月前
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雨だったり曇りだったり、時々晴れだったり。

 二〇二四年五月二六日に台風一号が発生した。その影響もあって五月の終わりは雨が多かった。…

さとくら
1か月前
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僕を守ってくれるものは分からないまま、日常は肩の痛みと共に続く。

 肩が痛い。  少し泣きたくなるくらい痛い。  昔から意味がないと言われながら、休日に寝…

さとくら
1か月前
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習慣が歩いてきた道の軌跡を証明してくれると信じて。

 実家の前が農家だった。  その農家の息子さんが僕より四つ年上で、同じ登校班ということもあって弟と一緒によく遊んでもらった。大きく古い家で、古いドラマのセットの中に紛れ込んだと錯覚するような場所だった。  そんな家やビニールハウスの並ぶ畑で僕たちは本当に自由に遊ばせてもらった。  親同士も面識を持って仲良くなり、ある時期は息子さんのお姉さんが我が家によく遊びにきていた。うちの両親にむかって、お姉さんが恋愛相談をあーでもないこーでもないとしていたのをよく覚えている。  農家は

どこにもたどり着かない泣き言。

 エッセイを書いていると小説が書けない。そう思っていた時期があったし、今もちょっと思って…

さとくら
1か月前
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観光客として住む、歩く、そして書く。

 安田謙一の「神戸、書いてどうなのか」というエッセイを読んでいる。一つ一つのエッセイが短…

さとくら
1か月前
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