習慣が歩いてきた道の軌跡を証明してくれると信じて。
実家の前が農家だった。
その農家の息子さんが僕より四つ年上で、同じ登校班ということもあって弟と一緒によく遊んでもらった。大きく古い家で、古いドラマのセットの中に紛れ込んだと錯覚するような場所だった。
そんな家やビニールハウスの並ぶ畑で僕たちは本当に自由に遊ばせてもらった。
親同士も面識を持って仲良くなり、ある時期は息子さんのお姉さんが我が家によく遊びにきていた。うちの両親にむかって、お姉さんが恋愛相談をあーでもないこーでもないとしていたのをよく覚えている。
農家は字のごとく農業を家業にしている世帯を指す。今も畑が続いているということは、僕より四つ年上の息子さんが家業を継いだことを意味した。
そこに紆余曲折があったことは実家に帰る度に両親から伝え聞いていた。生まれた時から住む場所と職業が決められている人生なのだ。
そりゃあ、僕の想像を超える葛藤があって然るべきだ。
僕が彼を思い出す時、小さな一人部屋に座った姿がまず浮かぶ。小さな本棚に丁寧に並べられた漫画本。カバーを汚したくないからと真っ白の軍手でカバーを外して漫画を手渡してくれる。
当時、連載している最新の漫画。僕と弟は夢中になって読んだ。
息子さんは僕たちが面白がるのが嬉しかったのだろう。
ビデオでダビングした面白いと言うアニメも貸してくれた。これがまた僕を夢中にさせてくれる内容だった。朝起きるのが苦手だったくせに、そのアニメの続きが見たいがために僕は毎朝早起きをした。
僕が農家の息子さんから学んだことは、面白いものは他人にも勧めるだった。
オタクが推しの漫画(やグッズ)を買う時は観賞用、保存用、布教用を揃えるのだと冗談交じりに言うけれど、僕はこの布教用は結構大事なものだと思う。
自分が好きなものを他の人も好きになってくれたら、それだけで世界が豊かになる。もちろん、合わない人だっていると思うし、ありがた迷惑だと言う人もいる。
相手のことは考えないといけないけれど、この人なら楽しんでくれそうだなと思ったなら、ダメ元でもおすすめしておくべきだと僕は思う。
そうした布教によって、幼少期の僕の生活はいささか厨二病的な遍歴を経たものの豊かになったと実感している。
ただ、そのためには漫画を買う時はKindleやアプリではダメで、実物を買う必要がある。映像作品も同様でサブスクではダメで、映像ディスクとして手元に置いておかなければならない。
結果、物は増えていく。これはもう仕方がない。
僕が今回勧めたいのは簡単に物を増やしていこう、ということだ。
そうすれば、大事な時に「君、これ絶対好きなやつだよ」とすぐに差し出せる。
もちろん、それだけじゃ味気なくなるし、ライフスタイルが変わっていく中で、泣く泣く捨てなくちゃいけないものも出てくる。
さよならだけが人生だし、飽きることもある。仕方ない。
けれど、できれば捨ててしまう漫画や映像ディスク、グッズを記録として残しておいてほしい。ノートに手書きでもいいし、スマホで写真を撮るのでもいい。
結果、おそらく膨大な数のリスト(なのか写真)と、捨てなかったコレクションの数々が残るだろう。
ここで初めて僕たちは自分の人生で何に影響を受けて、何を周囲に主張したかったのかということが、点ではなく線となって理解できるようになる。残されたリストとコレクションは自分の人生の足跡として、そこに刻まれている。
僕たちは年を取る。これから逃れることはできない。だから、日々の習慣の中に年を取った後の楽しみを潜ませておきたいと僕は思う。それが時に他の人と繋がれるきっかけにもなれば一石二鳥でもある。
サポートいただけたら、夢かな?と思うくらい嬉しいです。