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声を失った人

バタバタと忙しく日々を過ごしていたもので、ちょっと前に公開されたSpirit of a WomanのYouTube動画についてご紹介できないまま3週間が経ってしまいました。

今さらですが、この動画、いろんな方面でとっても響く内容だなって感じているのでここで少し取り上げさせてください。

お話はいず美ちゃんの娘さんたちの喧嘩から始まるのですが、実はこの前に(編集でカットした部分で)、DVを受けていた友人のことを私がちょっとお話ししたんですね。

その友人の旦那さんはアルコール依存症っぽくて、酔うと威圧的になって言葉の暴力が始まるということは少しだけ聞いていたので、私は以前「何かあったらいつでも言ってね」と伝えたことが一度だけあったのです。

以降も気にはしていたのですが、特に相談はなかったので、「なんだかんだ言ってまあうまくいっているんだな」と思っていました。

ところが、ある日、トラブルが起きて、それをきっかけに彼女は離婚しました。その後、彼女に会ったら驚くほど晴れやかな顔をしていました。

彼女は言いました。「あのトラブルのおかげで親族以外の人たちがやってきてうちの旦那は連行されるくらいの状態なんだってわかって、そこで初めて自分がそこまでひどい状況にあるのだと客観的になれたの。それまでは、旦那を制せない自分にも落ち度があるし、私が何とかしなきゃいけないのにできていないのが悪いのかもしれないっていう気持ちが拭えなかったの」。

そういう状況にあった彼女に、「何かあったら言ってね」っていうのは何の助けにもなってなかったと私は気付かされました。声を失っている人に、声かけてねって、そりゃ無理難題です。

それまで私は「当事者にしかわからないことがあるから第三者がおせっかいに立ち入ることはしない方がいい」と考えていました。今も基本は同じですが、でも、この友人の件で、第三者がずけずけと介入してもいい、というか、そうしないことにはハッピーにならない場合もあるのだと知ったのでした。

で、私のその気づきを伝えたら、いず美ちゃんが思い出してシェアしてくれたのが動画でのエピソードでした。

人はどうやって声を出せなくなっていくか?

と同時に、声を出せなくなった人にどうやって気づいて、どういうサポートができるか?

いろんなインスピレーションにつながるとても素敵なエピソード。

何よりも私が好きだったのは、このお話が、声を出せなくさせたその本人も声を出せなくさせられていた体験があった、ということまで含んでいたことです。

私たちは加害者を正すという考えに慣れている傾向にありますが、でも加害者の多くはもともとは被害者である…つまり誰もが(そう望まずとしていつのまにか)加害者になっている可能性があるんですよね。

なのに自分が加害者になるかもしれない可能性などないかのように加害者を正すことに躍起になってしまう。

それって加害者を責めることが一番楽だからかもしれません。加害者は自分とは別物で、そこを切り離せば平和が戻るっていうのは手術で悪いところを切ったら健康になるという考えと似ています。たしかにいっときは健康になる、けれど手術が必要になるような状態を作ったその根本原因が解消されなければまたきっとどこかで同じことが起こります。

もう一つ思うのは、私たちは悪を成敗するっていうという考えに慣れているからそれが当たり前のことのように錯覚しているということ。でも、その考えを持っていると、自分が悪にならないようにしなきゃいけないという重圧も引き受けることになります。自分が悪にならないために、自分より悪を見つけて正すことで自分の正を証明しようとしてしまうというような悪循環が起こりやすい気がします。

とかなんとか、いろんなことを考えさせられる、そして希望も感じる、そんないず美ちゃんのシェアでした。

皆さんはどんなことを感じるでしょうか?

YouTubeはかなりマイペースな更新頻度となっていますが、次回動画も近いうちに公開しますのでぜひ楽しみにしていてください。

取り上げてほしいトピックもこちらより応募いただけますのでお気軽に送ってくださいませ。

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