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心の旅

前回の記事で故郷、山口県周南市の事を少し書きました。

今回は行ったつもりで

「お墓参り」

幼い頃のお墓参りには色んな思い出があります。お寺に行くまでの細い山道。両脇には民家が並んでいて、車がすれ違うたびにドキドキしたものです。
夏はシーンとした静かなお寺に響き渡る蝉の声、秋には地面にころがっている沢山の銀杏。それは決して良い香りではないのだけれど何故か懐かしく思い出されます。

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周南市にある福田寺は、童謡「ぞうさん」や「一年生になったら」の歌詞を書かれた詩人、まど・みちおさんのゆかりの地。こちらも「ジャカランダ」同様、木村前市長さんのfbで知りました。

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幼少期に家族と離ればなれになった、まどみちお少年がおじいさんと過ごした思い出。その悲しみを音や響きで表現されている。子供の頃の懐かしい音や匂いは、その場所へ帰ってきたことを感じさせてくれます。

お祖父さんが枯れたお花を捨てに行かれれば、
私は竹筒に水を注いだ。
ドレ ミハソラシドレミハソラシと
土の底から雲の遠くへ昇つていくものがあつた。 
とり残されたもののように、
私は耳を澄ますのだつた。
「お墓まゐり」より抜粋 


まどみちおさんの繊細さ、優しさ、感性には、当たり前のことを気づかずに生きている私達に、時を超えて語りかけている様にも感じます。

『ぼくが ここに』
ぼくが ここに いるとき
ほかの どんなものも
ぼくに かさなって
ここに いることは できない
もしも ゾウが ここに いるならば
そのゾウだけ
マメが いるならば
その一つぶの マメだけしか
ここに いることは できない
ああ このちきゅうの うえでは
こんなに だいじに
まもられているのだ
どんなものが どんなところに
いるときも
その「いること」こそが
なににも まして
すばらしいこと として


何気なく使っているけど
言葉の大切さ
出来たら心地よい響きを発していたい

言葉の響きを大切にしたい。
言葉は、意味だけでなく響きも人間の大きな財産なんです。
しかも意味より、響きとの付き合いの方が長い。
耳を持って以来ですからね。
— まどみちお—


童謡以外にも沢山の素晴らしい言葉を残されていますが、今回は特に心に響いたお言葉を抜粋しました。

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2年前の梅雨入りに行った
「お墓参り」の写真から心の旅。


次はどこに行こうかな….




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