無理しない、無理しない。〜不登校娘の今〜

なかなか娘のことを
書けずにいました。


…やはりすんなりとは
行かないものですね。

うっすら予感はしていましたが、
娘は、中学に入っても、
引き続き別室登校をすることに
なってしまいました🥲



娘のこれまでのことは、
こちらの記事のとおりで、
小学校を卒業した後、
だいぶスッキリした様子で
「なんとかなるでしょ。」


なんて言ってたのですが、
結果、なんともならなかったです。

今日は、そんなお話です🥲


春からしれ〜っと
中学に普通に通ってみる。
そう言った娘。


本当に実行しました。



自分の脚で歩いて登校して
入学式に出席したんです。


ずーっとイスに座ってたら
少し気持ち悪くなったけど…
大丈夫って。


翌日からも
授業に最初から参加して帰宅。
疲れた〜といって帰ってくるも
ちゃんと翌日の準備も
自分から進んでしてたのです。

そうして、

大丈夫かな…🥺





大丈夫かも…☺️


になりかけた3日目の夜、

いきなり、
「もう無理!もう学校行けない!」
と言って、娘は号泣しました。

教室や体育館などの閉鎖された空間内で、
たくさんの人たちの会話が折り重なった
大きなざわめきだったり、
吹奏楽演奏のような
大きな楽器の音が多数重なる状況に
身を置き続けると、
彼女の感覚の過敏さからか、
極度の緊張と、
そこからくる疲労感が生まれてしまい、
耐えきれなくなってしまう。

そういうことが、今回も
やはり起きてしまったようです。 

ストレスや緊張を増幅させる諸々の要素が
登校3日目に集中して、
気持ち悪さ、身体中の痛み、
息苦しさに襲われ、
声も出せず助けも求められず
フラフラになって帰宅……

号泣したその日は、
そんな状況になってしまったようです。

3日間張り詰めていた
緊張の糸がプツンと切れてしまい、

もう、学校無理だぁぁ…!!(号泣)
ってなってしまったのでしょう。

翌日娘はお休みしました。

これはマズイと思った私は
その日のうちに学校に娘の状況を伝えて、
翌週すぐに、
教室に行けない子向けに
設定されている別室に
通えるよう手続きしました。

たとえ学校で過ごすことが苦しくても、
家に籠りきりになってしまうのは
なんとしても避けたくて。



なんとか今回は
学校という外の世界との繋がりを
保ってほしくて。



誰かに敵意を向けられたり、
理不尽な思いをしたりなんていうことが
ないのなら、
遅刻and早退でもいいから行こう?

小学校でずっと相談室登校
だったんだから、
中学の環境にうまく馴染めなくて
当たり前、疲れて当たり前。


でも、ここで家に籠り
家のヌクヌクに
慣れてしまったら、
他人との関わり方を
忘れちゃうよ?
そしたら社会に出ることへのハードルが
どんどん高くなっていっちゃう。

だから、心が壊れるほど
無理することは全然ないけれど、
負荷はかけていこう。

できることを
できる範囲でやっていこう。
一つ一つ、ちゃんと慣れていくから
大丈夫!


そんなことを言って
本人を説得しました。


…ただ、
なかなかうまくいかないのは
ここからなんですよね🥲


娘は、その後別室登校を活用しつつ
静かな授業を選んで
一部教室授業にも参加していたのですが、
体調を崩して保健室に行き、
そのまま早退することが増え、
いつの間にか完全に教室に
行かなくなっていました。

別室に行けるならいい方で、
最初から、
ダルいとか、めまいとか
頭痛、腹痛、足痛、耳鳴り
いろんなものが
かわるがわる現れて、
学校自体をお休みしてしまう日も
増えてきて🥺💦


そんな中、
親ができることといえば、

食事で体調を整える。
勉強や登校のサポートをする。
気晴らしに付き合う。
話を聞く。


くらい。


ただ、それくらいのことでも、


娘が中学生活についていけるようにと
親がサポートをがんばろうとするほど、
娘はストレスを感じて
ふさぎこんでしまう。

……逆効果になってしまうんです😥

そして、娘のためにと、
私自身が無理するほど、

娘が良くなることや
できること、成し遂げることを
期待してしまうし、
そうならないと失望してしまう🌀


そして、それが透けて見えてしまうと
娘は逆にプレッシャーを感じて、
体調を崩してしまう。


そんな悪循環に
ハマってました。


そんな時、ふと思ったんです。


私が、生活面や勉強面で
サポートしようと思っても、
そこで思い描く理想像は、
娘のものではなく、
私のものなんだよなって。

サポートした結果、
娘が私の思い描く姿にならないことに、
私自身が失望してしまうなら、
それはただの余計なお世話なのかも……
って。


元々ものすごく
マイペースな私。

人のお世話自体には喜びなど
見いだせない人間なんです。
自分も楽しめることでなければ。

食事の支度は、誰かに作るなら
食べる人の笑顔がなければつまらないし、

洗濯は、家族が清潔な服を着ていないと
私が嫌だからという理由だから、
お世話したくてやってるわけじゃない。

習い事もお出かけも、
子どもたちが望み、
生き生きした姿が見られるなら、
喜んでサポートしたいと思うけれど、
いやいややる姿しか見られないなら
すぐにやめさせたくなっちゃう。

サポートした成果が見えてこないなら
自分が楽しめない。
そして、楽しめないと、すぐに嫌になる。


不登校のサポートで
私がモヤモヤする理由は
そんな所なのかなって
思い始めました。

何か目指すものがあるときに
長い目で見て辛抱できない。
子どもの自主性が
生まれてくるのを待てない。
どっしり構えていられず、
まくし立ててしまう。


そんな自分に気づいてしまうと、
私は教育者には
全く向いてない人間なんだなーって
実感してしまいます。


とってもさみしいことですが…🥲


でも、
無理して、
背伸びして、
教育者であろうとしても
無理なものは
無理なのです。

繕ったって、
娘にはすぐ伝わってしまうのです。

だから、
私は私で好きなように過ごした方がいい
そんな気がして来ました。


できる範囲で、
娘の健康や生活を守る。
自分で安全に健康に生きていけるよう
最低限のことは教える。
一緒に楽しめるものは
思いきり楽しむ。

でも、それ以上は
口出ししない。


娘は娘で好きに過ごす。
学校に行くも行かないも自由。

将来のことは
その時その時の娘が
その時の考えで
自分で決める。

親として、
無理のない範囲で、
日常の労力面、金銭面のサポートは
もちろんしますけれど、
自分の身を粉にして、我慢して、
なんでもかんでも、時間や労力やお金を
差し出すなんてことはしないことにしよう。


これから、進路を考えていくにあたって
金銭問題も出てくるのでしょうけれど、
明らかに必要と思える道でなければ、
その事が、娘にとってどれほど必要で、
自立に向けた成長に繋がる算段はあるのか
ちゃんと娘にプレゼンさせ、
その上で必要かどうか見極めることにしよう。


そんなふうに
娘の能動性を待ち、
こちらから無駄に働きかけたり
期待したりしない。


自分の価値観での理想を
彼女に押し付けない。


娘の未来は、娘が決める。


そんな考えで、
娘と接していこうかな。


娘とのあれこれに
モヤモヤを抱えながら、
グルグル考えた結果、
最近はそんなふうに
考えています。


……といってまた、
その時々で、考えはブレたり
変わっていったり
するのでしょうけどね💦


本当に、未熟者な私です。


でも、これが私だもの。
って思うしかない。


そんなこんなで、
これからも家族皆それぞれにマイペースで。


無理しない、無理しない。



そんな精神で過ごしていこうと思います😌




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?