『動物たちは何をしゃべっているのか?』
ゴリラ研究の世界的な権威である霊長類学者の山極寿一さんと、シジュウカラの文法解明を目指す動物言語学者の鈴木俊貴さんの対談集『動物たちは何をしゃべっているのか?』
ゴリラにもシジュウカラにも特に興味はないんだけど、道を究めている人たちがどんな話をするのか、1つのテーマからどんなふうに展開していくのかおもしろそうだったから、図書館で借りてきた。
動物は生存や繁殖のために進化してきたから、住む環境によって言葉も違うし、どういうふうに世界を見ているかも動物によって全然違うということとか、言われてみればそれはそうかも、と納得してしまうような話ばかり。
手話を覚えて会話をしていたゴリラの話とか、嘘をついてエサを取ろうとするシジュウカラの話とか、動物って思ったよりもずっと色々なことを考えてるんだなと驚かされる。
経験していないことや経験していない人に対しても情報を伝えられること、「今」「ここ」以外についても語れる能力が、ヒトの言葉の威力であるということも書かれていた。
後半は、この言葉を軸に、ヒトという動物についての考察。
言語コミュニケーションは、視覚や聴覚、触覚などの複数の感覚を使うもので、文脈の影響を受けるものだったのが、現代社会は文字に依存しすぎて心と身体が置いてきぼりになっていること、文字に頼るようになったことで対面でのコミュニケーションでは起こりにくい行き違いが起きやすくなったり、便利な反面大切なものを失っているのかもしれないというようなことも書かれていて、これは忘れないようにしておかないとと思った。
ちなみに、ヒトの脳はここ1万年の間縮んでいるんだそう。
それは脳の外付けのデータベースをたくさん手に入れたからで、その代表が文字だということだった。
文字に託せば覚えておく必要がないからとのこと。
それはものすごく実感できる。
そしてオソロシイ。
山極さんの言葉で、
「言葉は意味を作るとか、情報をストーリー化すると言いましたよね。その結果どうなったかというと、我々は、世界をあるがままに見ることができなくなったんです。言葉は単なるツールではなく、我々の意識そのものを規定するからです。
たとえば、あそこに大きな木の板があります。でも、あれを『木の板』と見ることはできません。『ドア』という意味が先に来てしまいます。」
「私たちは目でモノを見ている気になっているけれど、実際は意味やストーリーを見ているんです。それは、言葉によって意識そのものが変わったからだよね。」
というのがあって、さらっと言ってるけどものすごいことだな!!と思った。
想像以上に色々な話題が展開されていて、とっても深くておもしろい。