わたしの家にはテレビがない
わたしの家には、テレビがない。
テレビのない生活を、かれこれ10年以上送っている。
テレビが良くないと、批判したいわけではない。
子どもの頃から、アニメやお笑い番組をみることが大好きで、四六時中テレビにかじりつく『テレビっ子』だった。
友達と「昨日あの番組みた?」と一緒に話すことも楽しかったし、「明日はドラゴンボールが放送される日だ!」とワクワクして、時間が経つのを心待ちにしていたことも良い思い出である。
いつからだったろう。
わたしは心が疲れてしまい、会社を休職した時期があった。
何も手につかなくなり、気をまぎらわすため、いつものようにテレビをつけていた。
次から次へと流れてくるCMや、暗いニュースを目にすると、気が滅入ってしまった。
バラエティー番組のにぎやかな笑い声にイライラしてしまい、ぜんぜん楽しい気分になれない。
テレビを見ていたら、いつの間にか時間が経ち、寝不足になるという悪循環にも、嫌気がさすようになった。
職場に復帰する前に、今かかえている悩みとじっくり向き合わなきゃ、そのために時間を使いたいという気持ちが強かったのもあると思う。
たまたま読んでいた本の中で、『何かを得るためには、何かをやめることが大切である』という一文が心に引っかかった。
このさい辞めてみよう、もしかしたら何か自分に変化が起きるかもしれない。期待を抱いて、後日テレビを捨てた。
なんだ、この部屋の静けさは・・・・・・
部屋にいて落ち着かない日が続いた。
独身で一人暮らし。話す相手もいない。
静寂の寂しさと向き合わざるをえなくなり、だんだんテレビが恋しくなる。
たまに音楽やラジオを聴いたりするものの、視覚からの映像がないため、物足りなかった。
テレビがないと、ぼーっと何もしていない時間が、こうも手持ち無沙汰になるんだ。
今まで何十年と繰り返してきた習慣を、一気に変えることは、結構大変なんだなと感じた。
でも良いこともあった。
これまでテレビを見ていた時間を使って、日記を書くようになった。
日記を書くことは、小学生以来の試み。
自分の気持ちを外に書き出すことで、頭の中のモヤモヤが整理されていき、気持ちに落ち着きが見られるようになった。
あと幼少の頃から好きだった、メダカやカエルなど生き物を飼育することも始めてみた。
水槽の生き物が動いている様子をジーっと観察する。テレビでは味わえない、癒される時間が流れた。
困ったことといえば、世間の出来事や流行を、後になって知ることが増えたこと。
「35億!」でブームになったブルゾンちえみさんも、事件や震災のニュースも、知人の話を聞いてから知ることとなる。
「家にテレビないの!?」「そんなことも知らないの!?」とビックリされたことが、度々あった。
学生時代は、彼女が欲しくて、必死になって雑学を勉強した。
物知りはモテると思っていた。
女性に人気のブランド名など、興味もないのに無理して覚えていた。
無理して覚えた知識は、なかなか頭に定着しなかったし、興味のない小手先の知識で会話をひろげることはできなかった。
「困ったこと」という表現には、ちょっと語弊がある。
当時は、知らないことに対して「常識がない」「良い歳して恥ずかしい」など、世間と自分を比べて、マイナスに捉えてしまったことが良くなかった。
でも今はこう思う。大げさな話、日本の総理大臣の名前を知らなくても、ルイヴィトンを知らなくても、生活していくのに支障はないし、知らないことで人からどう思われようと知ったこっちゃないと。
知らないからこそ、相手の話を興味をもって聞けるようになった。
興味をもった話題に対しては、相手からもっと聞いてみたいと思うし、自分でも調べてみたいと行動的になれる。頭の吸収力が断然違う。
自分の知っていることを、誰かに教えたい。そういう人はわりかし多い。自分の話もするが、相手の話もちゃんと聞く。前よりも聞き上手になったと感じる。
自分に必要だと思う情報を、必要なタイミングで受け取ること。
自分の意思で自由に選んでいいんだということ。
テレビで使っていた時間を、いかに有効に使うか、
時間の使い方について考えるようになれたこと。
以上のことが、テレビをなくしてみて、気付くことができた大切な贈り物。
これまでの生活から息苦しさが減り、だんだんと気持ちを楽に生きられるようになった♪
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