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心のゆとり。バスで出会った物語

とある休日。私は、セミナーのイベント会場へ向かうため、バスで移動していた。やってしまった。まさかの朝寝坊。
このまま向かえば、ぎりぎり開始時間には間に合うかもという状況。
前々から楽しみにしていたし、代金も払っているし、できれば遅れたくないと、気持ちは焦っていた。
赤信号でバスが停車する度に苛立ってきて、携帯画面の時刻を何度も確認していた。

バスが途中の駅で停車して、乗客が乗ってきたときのこと。
「運転手さん、すみません。今、杖がないことに気付いたの!」
おばあちゃんの大きな声が車内に響いた。
「あっ! きっとスーパーで袋詰めしていたときだわ。そのまま杖を置いてきぼりにしてきちゃったんだわ」
今思えば、何てかわいらしい表現を使うんでしょう。

バス停の近くに、スーパーがあるのが見えた。
運転手さんは、「取りに戻っていいよ! 待ってるから」と即座に言葉を返した。

私はというと、即座に心がざわついた。
こんなときに限って、うそでしょ。急いでるのに勘弁してよと、イライラが怒りに変わっていた。

近くで座っていた若いカップルも、「まじか」と苦笑いしながら話していた。
私は、仕方ない仕方ないと自分に言い聞かせて、怒りを静めていた。

その後の運転手さんの対応が、とっても紳士的だった。
車内の乗客に向けて、マイクで話し始めた。
「おばあちゃん、歩くの大変だろうし、やっぱり私も一緒に行ってきます。
 皆さま、もし杖が見つからなかったとしても、すぐに戻ってきます。5分以上は待たせませんから」
そう言って、おばあちゃんを追いかけるように、スーパーへ向かった。

「5分以上は待たせませんから」
この一言が添えられるだけで、どれだけ待たされるんだろう? という不安な気持ちが軽くなった。私は、何とかセミナーに間に合いますようにと願っていた。

そのとき、後ろから母親とまだ幼い女の子の会話が聞こえてきた。
「おばあちゃん、大丈夫かな。杖見つかるかな?」
「運転手さんもついているし、大丈夫よ。きっと見つかるよ」
「見つかるといいね」

私は、はッと我にかえった。
困っている人がいたら、優しい心で寄り添ってあげたい。助けてあげたい。
そんな自分でありたいと、これまで生きてきたけど、今わたしの気持ちは真逆の方向を向いていた。
何て優しい親子だろう、何てかっこいい運転手さんだろう。
心が狭くなり、イライラしている自分が情けなかった。

「お待たせしました。杖見つかりました!」
あれからすぐに、運転手さんとおばあちゃんが一緒に戻ってきた。
「みなさんお待たせして、すみませんでした」
おばあちゃんは、みんなに深々と頭を下げた。
「良かったね」
女の子の純粋な声に、車内も私の心も温かく包まれていくのを感じた。

ああ、なんて素敵な物語に遭遇したんだろう。
私は、何か大切なことを学ばせてもらったという気持ちだった。

時間に余裕がなかった私は、心のゆとりを取り乱していた。たかだか5分程度待っただけなのに、心の中でおばあちゃんに文句をぶつけていた。
でも冷静になって自分のイライラの元をたどると、おばあちゃんに対してではないと気付いた。
もし時間にゆとりのある状況で、バスに乗っていたら、おばあちゃんに対して、こんなにイライラしていなかったなと思う。

時間に余裕をもって行動しよう、寝坊しないように気をつけようと、過去に何度も自分に言い聞かせてきた。

これまで交わしてきた自分との約束をやぶってしまったこと。
そんな自分に対して、怒りが湧いてきたんだということに、後から気付くことができた。


教室に遅れて入ることで、みんなに注目されて恥ずかしい思いをしてしまうかもしれない。
もしかしたら、講師の話を中断してしまい、迷惑をかけてしまうかもしれない。
トイレに行く時間の余裕もない。自分の落ち着く席に座れない。

などなど、そこから派生する不安感も上乗せされて、イライラがさらに膨れ上がり、おばあちゃんのせいにしてしまっていた。
自分の都合を叶えたいのであれば、改めるのは、自分の行動の方なのに。

心に余裕をもたないと、人に対しての優しい気持ちが蝕まれてしまう。
気持ちが攻撃的になり、他人を責め、自分のことも責めて嫌な気持ちになる。
そんな自分の一面を知れたことの学びが、とても有益だった。

時間には、ゆとりをもてるように行動したい。
何よりも、心にゆとりをもつことが、自分や他人と気持ちの良い関係を築いていくうえで、大切な秘訣だと思う。




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