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法座に通う大学生が自分にできることを考えてみた

「こんな話があってね。」そうやって法話は始まる。自然光が入り込むくらいの落ち着いた明るさで、和尚さんの話を聴く時間が好きだ。

3月くらいから月に一回の法座に通ったり、お寺に取材に行くことが増えた。お寺や仏教に興味を持ったきっかけはある一人の住職さんがこんな話をしてくれたことで。皆さんもお話を聞いているような気持ちで読んでくださいね。

皆さんはこれまでの人生の中で何回食事をしましたか?一日に3食食べるとして、一ヶ月に約90食、一年に約1080食、それに自分が生きていた年数をかけたら大体何回食事したかが分かりますよね。その回数分、私たちは命を頂いていることになるんですね。

「いただきます」「ごちそうさま」日々何気なく言っている言葉たち。自分の命は誰かの命に支えられている、そんな話かなと思いながら、聞いていました。確かに日々生活していたら忘れてしまいそうなこと。

でもね。そんなこと毎日毎日考えられるほどみんな暇じゃないでしょう?

この言葉で私は一気にこの住職さんに引き込まれてしまった。そうなんだよなぁ、外食先で出てくるご飯にどれくらいの労力がかかっているのかと思いを馳せることは常にできるわけではないし、頂いている命を考える間も無く食べている。食べることは目的ではないことも多い、友達と会うための手段としての食事だったりする。

毎日毎日考えるのは難しいんですよ。みんな目まぐるしい時間の中に生きているから。だからこそお寺っていう場所は必要だと僕は思うんですよね。ちょっと足を止めて、日々考えることが難しいことを考えることができる場所としてね。

その「日々考えることが難しいこと」を考えることにどんな意味があるのかは今はちょっと分からない、というのが正直なところ。だからこそお寺に通うのかもしれない。

こうやってお寺のことについてnoteに書こうと思ったのは、ある和尚さんと話したことがきっかけで今日はその話まで書こうと思う。ちなみに、上の話をしてくださった和尚さんとは違う人。

「人間が生きていて一番大事な役目ってなんだと思う?」そう聞かれてポカン、としてしまった。そんな私を見て和尚さんがそんなに難しく考えなくていいから、と言ってくれたので私は「よく生きること?」と返しました。今思うと自分でもよく分からずに言っていたな、と少し恥ずかしくなる。

優しい和尚さん、「それももちろん大事なことだね。」とフォローしてくださった。その人が言うには「循環させること」らしい。人間ひとりひとりには役目があって、まず自分の役目をしっかり果たすこと。そして、その役目を果たすことで他の人にも役に立ちそうなことがあったら、伝えること。

和尚さんの役目は、平安時代から残されてきたお寺を守ることだと言っていた。コンビニよりも多い数の寺があるのに、これだけ自殺者が多いっていうことはお寺はきっと機能していないんじゃないか、って。宗教者は風当たりの強い時代でもあって、宗教離れも進んでいる。裕福なお寺はいろいろなことができるけれど、貧しいお寺は知恵を絞るしかないでしょ、と言われた。

和尚さんから仏教にまつわるいろんなお話を聞いていて、ふと思っていることを言った。「法話に参加すると、周りは檀家さんたちばかりで若い人はあまりいないですね。」檀家さんというのは、特定の寺に所属して寺を支援する家のことで、そのお寺に法事を頼んでいる人たちのこと。私は法話聴くともっといろんな人がこの話を聞けばいいのになぁ、と傲慢にも思ってしまいます、と相談した。そうしたら、

「それはどの時代も同じでしょう?聴く人は聴くし、聴かん人は聴かんよ。」と。すごく恥ずかしい気持ちになった。

「まずはきっかけを持ってもらうことよね、来てもらわないとしょうがない。一番難しいところかもしれんけど、それができるかできないかって人の裁量じゃけぇ、頑張るんよね。」

循環させること。一番良くないのは自分の中でとどめておくこと、だと教えてもらった。ここで考える。法話で聞いた話を自分の中に落とし込んで、そこで終わるのはとどめておいていることではないのか、と。わたしがいまお寺に関わることでできることは、和尚さんに聞いた話を伝えることかもしれない。そして自分のフィルターを通すから物事は伝わっていくということも教えてもらった。

そんなことがあってnoteを書いてみた。誰に届くかは分からないけど、届いた誰かが一人でもいるなら、この言葉たちは幸せだ。和尚さんの言葉を信じて、書いていく。今度は水の話を聞いて考えたことを書こうと思います。

いただいたサポートは、私が私の言葉にしたものを「あっよかったんだな」と信じるきっかけにさせていただきます。