見出し画像

せっかち父さん、ゆっくり息子の「遅い理由」を知る

せっかち者からすると、物事を早く済ませてしまいたい。ゆっくりはあまり好まない。 

車の運転なんかは顕著なもので、国道で軽トラが前を走っているとげんなりする。
かなしいかな、田舎ではじいちゃんばあちゃんが運転する軽トラとのエンカウント率が極めて高い。

あとは急いでるときの路線バスも勘弁してほしい。あの四角が前方に確認できた瞬間から確約された遅さがそこにある。

そんなとき、あと1分早く出発していれば違う今があったのにとタイムリープしたくなる。(そんなことに使うな)

とはいえ、そんな私の気質はあまりいいものではないと自覚している。
だから「心は広く、気は長く」を心において、年齢と共にだいぶ緩和され、穏やかになったと思う。

けれど、居ても立っても居られないこともある。

私の息子、長男くんは気の進まないことにはとことん遅い。
ごはんを食べるのも遅いし、もろもろの支度も遅い。
ひと口食べたら1分喋るし、靴下を片方履いたら何故か休憩する。

4歳なので仕方がない面もあるが、後々の時間に差し支えるのが気になる。

せっかち者の私は、ついつい急かしてしまう。
あまりに遅いときには、ごはんを口に運ぶし、服も着せてやる。

過保護に思われるかもしれないが、そうしないと時間に間に合わない。

先日も、幼稚園の集団登園の待ち合わせギリギリいっぱいだったので私が靴を履かせた。

その靴は最近出てきたダイヤルタイプのもの。紐でもなく、テープでもない。ダイヤルを回すとワイヤーがたぐられて、キュッとホールドしてくれるという優れものだ。

ダイヤルドライブというダイヤル式のスニーカー

慣れればかなりスピーディーに着脱可能だ。
だが、長男は履き始めてからしばらく経つのに遅い。

その日は間に合わないと判断した結果、私がダイヤルを素早くカリカリっと回して履かせてあげた。

「さあいくぞー」と腰を上げて玄関を開けたが、長男は座り込んで靴を見ている。

「マークが揃ってない」と長男はつぶやく。

よく見てみると、両足のダイヤルには同じマークがあしらわれている。その向きが不揃いだったのだ。
「このマークを揃えんとあかんの?」と聞くと「そうやで」と返答があった。

長男が靴を履くのが遅い理由はここにあった。
いわゆるこだわりというやつだ。
ただ、意味のない厄介なこだわりという訳でもなさそうなのだ。

思えば、レゴで乗り物をつくるときも、マイクラで構造物をつくるときも、しっかりシンメトリーになっている。
私はいつも感心して褒める。
4歳児がつくったにしては随分と凝っているし、クオリティも高い。

彼は左右対称の整然に美しさを感じているのだ。
まさかその美学が靴にも反映されているとは思いもしなかった。
ダイヤルの回転を何度もやり直すのはそういうことだったのかと合点がいった。

ズレてても誰も気にならないし、そもそも誰も見てないと思う。
けれど、これは彼にとって重要なことなのだ。

4才にして、こういう感覚を獲得しているとは思わなかった。

「なるほど。確かにその方がかっこいいもんな」

私はマークを揃えてあげた。

長男は嬉しそうに立ち上がり、集合時間にはギリギリ間に合った。

このことが示すように、彼が色々と遅いのには理由があるのかもしれない。
少し時間をかけなければ出来ない、彼なりの美学があるのかもしれない。

それに気付いてあげる観察力が無かったなと見送ったあとで反省した。

心は広く、気は長く。
怒るより前に、ちゃんと見てあげようと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?