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音楽を聞いても歌詞が聞こえない。その謎が解けた。

音楽を聞いても歌詞が音となって入ってきてどんな歌なのかがわからない。

だけど、最近ようやく長年の謎が解けた。私は耳からの情報処理に弱いから勝手にPVっぽいものを作りながら聞いていたのだ。
具体的な曲の例を出してどのように音楽を聞いているのかを書いてみよう。

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椿屋四重奏の「群青」

もう何年も前に解散してしまった椿屋四重奏。ライブでも人気の「群青」は、最初の音で明け方4時頃の極寒の日本海をイメージした。(※1)
イントロ部分のギターの刻みが入ると静かに波を打つ海の描写が浮かんできた。何かが起きそうなソワソワした波の打ち方をしている。
サビになるにつれて波が大きくなって、後半の大サビは波の打ち合いのようなイメージ。

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椎名林檎の「鶏と蛇と豚」

もう一つは椎名林檎のアルバム「三毒史」にある「鶏と蛇と豚」(※2)
毎回、イントロのお経が終わる「0:12」から「来るぞ来るぞ…」を身構えてしまう。それではどうぞ。

目が開けられないほどのおびただしい光線が突如出てきて、プシューと白煙が出てきたら、奥から阿弥陀如来像がジワジワと近づいてくる。
どれだけ迫力のある阿弥陀如来像かを見せつけるかのようにカメラのアングルが下から上を舐めるように写し、正面から阿弥陀如来像の上半身にズームインして、画面から消えてAメロに入るイメージだ。
Aメロ以降は聞かないことが多い。

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「阿弥陀如来像」はパッと浮かんだもので理由はわからない。大仏や風神雷神像みたいな、金の像モノであればなんでもいいかもしれない。

耳からの情報処理が不得意だが、描写は鮮明だ

ここに書いた描写はアーティストがイメージしているものとは大きく異なるだろうし、当人からしたらリスナーが勝手に描写を妄想することは本望ではないかもしれない。
私がやっていることを例えるなら「動きがありすぎるカラオケのPV」みたいなもの。歌との関係性があまりない。
ちなみにカラオケのPVは動きがなく、記憶に残らないように制作しているらしい。(※3)私がやっているのは真逆のようだ。

耳から聞く音声情報が不得意なのか、歌詞だと特段何も入ってこないことが多い。
だから音に描写を乗せて、アーティストの歌詞の意図関係なく妄想をしながらコンテンツを楽しんでいるんだろう。
その妄想は動きや色彩が具体的で、鮮明なあまりにストレスになることもある。

これは歌詞に限った話ではない。

数年前に勤めていた職場では、耳から聞く情報のインプットが不得意なあまりに「こんな簡単な指示なんだからメモを取らずに覚えてください」と言われて慌てふためてほどだった。
その時は「○○を整理してここに置いてください」のような簡単な指示だったはず。
耳から聞く情報に疎いから、耳で集中して情報を入れるコンテンツはだいたい勝手に描写や言葉に置き換えてから記憶に刷り込んでいる。
とはいえメモくらい書かせてほしいものだ。

もし私に歌詞が聞こえて共感するほどの感性を持っていたら、アーティストが伝えたいことをしっかりと受け止められたら、妄想の向こう側に行けるはずだ。
いつまでも自らが作り上げてきた妄想に留まっていては視野が広がらないかもしれない。
他の人はどうなんだろう。音を聞きながら妄想をするのかを聞いてみたい。


(※1)椿屋四重奏「群青」(解散前のライブ映像)
https://youtu.be/734XcOi_5QY

(※2)椎名林檎「鶏と蛇と豚」(公式PV)
https://youtu.be/u77yCRwSCXg

(※3)カラオケ背景映像のひみつ(デイリーポータルZ)
https://dailyportalz.jp/kiji/18041420260

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