小菅村を訪ねて~650人の村で感じた「にぎやかな過疎」~
多摩川源流の郷、山梨県小菅村へ行ってきました。人口650人、総面積(52.65㎢)の9割を森林が占めており、そのうち約3割が東京都が管理する水源涵養林です。
ずっと東京に住んでいるのに、自分たちが飲んでいる水がどこから来ているのかをちゃんと考えたことがなかったなぁと反省しました。
豊かな森と水に恵まれる小菅村では、ヤマメの養殖や山葵の栽培といった特産物の生産はさることながら、農林業体験や自然体験活動の受け入れを積極的におこなっており、首都圏の大学と連携した多摩川源流大学など地域内外の交流を通した村づくりを展開しています。
小さい村だけど、小さい村だからこそ、首都圏に隣接する「源流」という地域特性を活かした村づくりがおこなわれているのですね。一方で、人口減少と高齢化(高齢化率45.2%)が進むなかで、地域の自治のあり方も変わってきているようです。このコントラストが日本全体の里山のリアルを描いているようで、とても興味深く重要なものに感じられました。
1泊2日という短い滞在ではあったのですが、そのなかで見せていただいたもの、感じたことを備忘録的にまとめていきたいと思います。
小菅村の風土
小菅村は山梨県の東北端に位置しており、北は丹波山村、西は甲州市、南は大月市と上野原市、東は東京都奥多摩町と接しています。周囲を1,300m~2,000m級の山々に囲まれており、標高は奥多摩湖面の530mから熊沢山の1,991mまでと高低差に富んだ急峻な地形となっています。
村には8つの集落があり、多摩川水系の小菅川流域に7つの集落(橋立、川池、田元、東部、中組、小永田、白沢)、相模川水系の鶴川の最上流に1つの集落(長作)が点在しています。
役場や小学校、中学校、保育所、診療所、郵便局、駐在所、農協、ガソリンスタンド、商店などの主要機能は川池地区に集中しており、電話一本で予約できる村営デマンドバス(ふるさと納税活用)が各地区をつなぐ、まさに「コンパクト+ネットワーク」の構造をなしています。
村の多くが秩父多摩甲斐国立公園に指定されており(1950年指定)、1994年には日帰り温泉施設「多摩源流・小菅の湯」がオープン、2013年の「フォレストアドベンチャー・こすげ」の設立、2014年の松姫トンネル開通による大月方面への利便性向上、2015年の「道の駅こすげ」開設などにより年間10万人以上の観光客が訪れる村となっています。
流域でみる小菅村と東京都のつながり
小菅村の面積の3分の1が東京都の水源涵養林になったのは、今から100年前の1901年(明治34年)まで遡ります。その経緯については下記のような記載がありました。
2005年には小菅村の村長を会長として「源流」をコンセプトに地域づくりに取り組む町村をあつめた全国源流の郷協議会が発足しました。源流地域の価値や大切さを多くの国民に知ってもらおうと「源流シンポジウム」の開催や「源流白書」の発刊に取り組むとともに、源流地域を守っていくための議員連盟の設立や政策提言などの活動をしています。
特産品をつくり、源流景観をまもる
厳しい自然のなかで小菅村の人びとは日当たりのよい斜面や水の流れが安定した沢をみつけて畑をつくり、コンニャクや山葵、ヤマメの養殖などをしながら暮らしてきました。この暮らしそのものが小菅村の源流景観をつくり守っています。
源流景観➀ 急斜面に広がるコンニャク畑
通称「掛け軸畑」ともよばれるこの畑は、その名のとおり短冊状に区画がわけられています。日当たりのよい斜面を住民が公平に使えるようにと、このような区画わけになったそうです。
日の当たる場所で作物を育てて、日の届きづらい谷間に人間が暮らす(冬は2~3時間ほどしか日がささないという)。生きることは食べることとはいいますが、人間本来、食べていくためには自然を読む力が必要なのだということを実感しました。そして、体力も必要ですね。この急斜面を行き来するには相当な足腰の強さが求められます。一往復するだけでも一苦労でした汗
源流景観➁ 沢の流れを利用した山葵田
山葵は綺麗な水でしか育たないと聞いたことがあります。どうやら流れる水のミネラルで育つのだそうです。また、山葵のあのツーンとする辛味成分(アリルイソチオシアネート)が山葵の生長とともに分泌されるのですが、それを放っておくと植物の生長を抑制するように作用してしまって山葵自身も枯れてしまうので、常に水で流しておく必要があるとのことでした。
小菅村ではこの山葵田の源流景観を保全する取り組みをしています。しかし、100年以上前につくられたと思われる石垣を組む技術が失われつつあるため、土砂崩れ等で一度崩れてしまったら再生は難しそうです。
源流景観➂ 日本で初めてヤマメの養殖に成功した地
小菅村でヤマメの養殖がはじまったのは1960年ごろ、民間では全国で初めてヤマメの人工孵化と完全養殖に成功したそうです。そこから技術は全国に広まり、今小菅村では3軒の養漁場が稼働しています。
ヤマメは川魚の女王ともよばれるだけあって、淡白な身がふわっふわでとってもおいしかったです!
源流大学
小菅村のおもしろいところは、「関係人口」という言葉がでてくるずっと前から都市部の住民、とくに大学生が継続的に出入りする村になっていて、農作業や地域行事をお手伝いしたり、条件不利農地を実験圃場として作物を育てるなど、地域の担い手的な側面を含むかたちでの関わりが続いているということです。
もともと村では2001年に「多摩川源流研究所」という、地域資源の発掘や調査研究、情報発信などを目的とした組織を立ち上げており、大学の専門家に助言を求めるなどしていました。そこから発展して、主に農学系の学生の実習を受け入れるようになり、2007年からは「多摩川源流大学」という看板をたてて、村人が講師となり学生や都市住民に村の生活文化や農林業を教える講座・体験プログラムをおこなっています。
詳しい経緯や内容についてはこちらにまとめられています👇
上記の文献によると、「源流大学は開校して現在までに,およそ20,000人を超える学生が活動に参加し,卒業生も多く輩出してきた」とのことで、小菅村で生きる知恵を学んだ若者たちが全国で活躍していると思うと、日本の里山の未来にもかかわる大切な学び場になっているなと希望が湧いてきます。
この源流大学をきっかけに小菅村に移住したり自分なりの関わり方を見つけて通い続けている人たちもいるようです。
私たちを村で案内してくださった「NPO法人多摩源流こすげ」の方も源流大学を通じて小菅村に通うようになり、地域おこし協力隊を経て、同NPOに就職された方でした。学生の受け入れや源流体験プログラムの運営を担当されており、「小菅村で学んだことをその人の源流・第一のふるさとで活かしてくれたら」とおっしゃっていたのが印象的でした。
村の自治
今回、私のなかで一番鮮明に心に残った場面は、ある集落の神楽の準備を見させていただいたことでした。予定には含まれていなかったのですが、たまたま私たちが滞在している日の夜に、9月頭に行われる神楽の準備があると聞き、急遽おじゃまさせていただくことになりました。
暗い山道を進んでいくと、小さな坂の上にポワッとひかりが灯っていて、鳥居をくぐると集落で長年守ってこられたのであろうお社と花道付きの舞台がありました。
神楽というと西日本のイメージが強かったのですが、関東にも集落単位で守られている神楽文化があるのか!と、日本昔ばなしに出てきそうな雰囲気に感激しました。
何か手伝った方がよいだろうか、でも、いきなり来て手を出すのも迷惑か、ちょと見させていただくだけという感じだしな・・・と突っ立って眺めていたら、「ちょい、君たち暇かい?」と村の方が声をかけてくださり、ほんの少しだけお手伝いをさせていただきました。役割を与えてもらえるというのは外から来た身としてありがたいです。
会場設営がひと段落つくと、おもむろに和太鼓や笛の演奏をはじめた若手のお兄さんたち。周りのベテラン勢がなんとなく耳を傾けているのがわかります。身に沁みついた感覚を取り戻すかのような音色が今年もこの時期が来たよ~とみなに知らせているようでした。
そして気づけば舞台の上でみなさんと車座になっていました。何をしに来たわけでもなく、どこから来たかもよくわからない私たちを輪に入れてくださる寛容さよ。小菅村に学生たちが出入りする理由が少しわかったような気がします。
ここで村の方々が話し合われていたのが、13演目ある神楽のうちどの演目をやるか、だったはずなのですが、気づいたら最近ビール高いよねみたいな話になっていたり、なんだか横道にそれてるなあと思ったら、最終的にはちゃんと4演目とそれぞれの演者が決まっていて、呆気にとられてしまいました。
これが、本当に、宮本常一の『忘れられた日本人』で描かれていた村の寄合の風景にぴったり重なって、なんだか、とっても ”ここに来れてよかった” と思えたのでした。
しかし、この集落も一番若くて24歳とのことで、子どもがいないそうなのです。ほかの集落では既に神楽をやめてしまったところもあります。
農地の維持管理にしても、農業でくっていけるほど現実は甘くなく、自家用で育ててらっしゃる方がほとんどのようです。
これだけ小さな規模の村になると、たとえば地域運営組織のように住民が自主的に組織化して自治をおこなうよりも、村主導で事業をまわしていくことの方が多くなってくるとのことでした。
村の規模と自治のあり方については、もっと全国各地をみながら考えてみたいと思います。
おわりに
小菅村を訪れての率直な感想は、もっと早く知りたかった&私もこういう地域まるごとフィールドにした学び場をつくりたい、というものでした。
つくづく日本は水と森の国なのに流域的なつながりを身をもって学ぶ機会がほとんどないのだよなぁと思います。源流大学の取り組みは、都市に暮らす人たちが源流のことを知る機会になるのはもちろんですが、村の人が自分の村を自分の言葉で語る機会としても価値あるものだと感じました。
新たな里づくりのかたちとして小菅村から学べることはまだまだたくさんありそうです。次に行くときは源流大学のプログラムにも参加してみたいと思います。
参考
小菅村源流振興課(平成24年3月)「小菅村源流景観計画」
http://www.vill.kosuge.yamanashi.jp/data/files/living_shinko/so_honbun.pdf
東京都水道局(平成29年3月)「水道水源林 みんなでつくる豊かな水源の森」https://www.waterworks.metro.tokyo.lg.jp/files/items/18996/File/h29_07.pdf
多摩川源流自然再生協議会(2008年3月)「多摩川源流自然再生協議会 全体構想・実施計画 ***源流の再生のために***」
https://www.env.go.jp/nature/saisei/kyougi/tamagawa/tamagawa_concept.pdf
「全国源流の郷協議会」Webサイト
https://genryunosato.net/
「多摩川源流大学」Webサイト
https://genryudai.jp/
「NPO法人多摩源流こすげ」Webサイト
https://npokosuge.jp/
藤井 真麻, 後藤 春彦, 森田 椋也, 山崎 義人(2022):過疎山間地域へ通う大学生・卒業生の主体性および住民との協働における継続性に関する研究− 山梨県小菅村における「源流大学」実習プログラムから発展した活動に着目して −,日本建築学会計画系論文集,87(796),987-997.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/aija/87/796/87_987/_pdf
矢野 加奈子, 杉野 卓也, 宮林 茂幸, 石坂 真悟, 鈴木 一聡(2017):多摩川源流大学プロジェクトの取組みと人材育成,水利科学,61(2),51-73.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/suirikagaku/61/2/61_51/_pdf/-char/ja
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