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ハラスメントについて ~経験から考えたこと~

セクハラ、パワハラ、モラハラ、アカハラあたりは有名だろう。ヌーハラ、カラハラあたりはハラスメントを揶揄しているのかと思ったりする部類だけど、嫌な人は嫌なのだろう。
ハラスメントは「他人が嫌がることをしない」という基本的な配慮が失われた時におきる。

私は入社当初からセクハラを受けてきた。
いわゆる「女性は~だから」や今取り上げられているセクハラ発言は当然に存在したし、性器や性的な行為を示す文言の入ったメールやホテルに誘われるなど、あからさまなものまであった。

当時はセクハラをしてくる人に「やめてくださいよー」とか「セクハラですよー」とか軽く言うか、性的なメールに関しては上司に冗談っぽく伝えて上司が「お前さぁ、いいかげんにしろよなー」と軽く注意してもらっていた。
軽い対応ですませていたのは、9割男性の企業で人間関係を守るためだった。
強く声をあげたのはハラスメントが問題視され話題になっていた頃。

当時も「ハラスメントハラスメントってうるさいなぁ、グレーな部分があるのが良い」という言葉を社内でよく耳にしていた。

セクハラ音声録音、メールを全てプリントアウトし社長へ直談判した。
「会社を訴える気は全くないです。ただこういったものを少なくする努力を会社としてしていただけないてしょうか」
本人たちは始末書処分となった。
会社もハラスメント防止教育を定期的に行うようになった。

しかし、本人たちは反省していなかった。
発言は「許さない方がおかしい、グレーゾーンがあった方が楽しいよ」という内容だった。
当然のように、その場にいたほぼ全員が同調していた。

だから、弁護士と社長に相談した。弁護士にはこのケースの場合どのような対応が良いのかを聞き、社長には「会社にはご対応いただいているので会社を訴える気はありません。ただ、本人たちが改善されないのでは意味がないので行動にうつってもよろしいでしょうか」という確認をした。社長は了承した。

本人たちはやっとことの重大性を認知したようだった。
奥さんや子どもに「会社でセクハラをしていた」と知られることは怖いことだったのだろう。

それだけのことをしているのにね。
そこまでしないと理解されない時代、集団だった。
結局、訴えるまでにはいかなかった。反省し、行動や発言か変わったからだった。

今も、そういう集団にいて困っている人もいる一方で「自分は我慢してきたんだから、あなたたちもチョット我慢したら?厳しくしすぎるのも良くないよ」とか「セクハラ?ウェルカム!下ネタ大好き!」という人もいると思う。
だからややこしい。何を嫌と思うかは、人それぞれだから。もちろん、そういう人もいていいと思う。


ただ、みんな「ハラスメント」を意識する時代になった。これは間違いない。そして大切。
「ハラスメント」は「他人が嫌がることをする」ことであり、時には思いもよらない形でしてしまう可能性がみんなにある。

こうやって、私が書いていることを不快に思う人だっているだろうし。
ただ、自分の身にふりかかる全ての嫌なことを「ハラスメントだ!」と糾弾することはナンセンスだ。
もちろん、強烈に継続して嫌がることを行うことを肯定しない。
その時は知恵をしぼってやめさせる行動をとるか逃げた方が良いし、許せない時はそれに対する罰を求めても良いと思う。

ただ、みんながコミュニケーションをとり、時には失敗しながら他人が嫌がることをしないように努力や配慮をし続けて、「ハラスメント」という言葉やものが、いつか死語になってほしいと思っている。

簡単ではないけどね。
本当に願ってる。

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