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今だから ~大切な人の死~

指定感染症で亡くなられた方の無言のご帰宅の様子がわかった今だから、大切な人の死について考える。

23歳のクリスマスの日に、母はガンで亡くなった。
入院したときは最大2週間で退院できる簡単な手術と聞いていた。
入院予定期間のの12月上旬だけ、リモートワークの許可をもらい母の看病と家の手伝いをしていた。
2週間後、母はICUにいた。
迷った。このままそばにいるか、仕事を優先するか。
母は「大丈夫だから、仕事に戻りな」と言った。
医者の父に容態を確認して「戻っても大丈夫」と聞いたから安心していた。

ICUにいる時点で気づけよ私。

今はそう思う。無知だった。軽く見てた。
毎日実家に電話して様子を聞いた。
一般病棟に戻れたときもあった。でも、12月25日の朝かかってきた父からの電話は「危篤状態だから病院へ行く。あなたも来てください」だった。

東京から遠くはなれた故郷。
急いで着替えて財布とスマホだけ用意したその時だった。
再び電話が鳴った。いつもぼーっとしてる私にもわかった。
「たった今、息をひきとりました」
父の声が、震えていた。
その後、歩いて駅に向かう最中も、電車の中でも涙は止まらなかった。
周りの視線が自然と集まるのは当然だったけど、そんなのどうでも良かった。

早く母のもとへ。

それだけだった。無力感と、とにかくこの目で母の顔を見たい。会いたい。それだけ。

自宅に横たわった母は、眠るようだった。ただ、触れると冷たかった。遺体を前に何度も語りかけた。
反応がないことはわかってた。ただ最後のお礼と挨拶をしたかった。

その時は何故か、死に目に会えなかったことを後悔していなかった。自分の中で整理できていると思っていた。
でも違ったと今、思い知らされている。

今回の新型コロナで亡くなった方は、遺骨で帰宅される。
遺族は入院中はもちろん、最後にも立ち会えず、ご遺体の顔も見れず触れられず、写真と遺骨に語りかけるしかない。

最後に立ち会いたくても立ち会えない現実を見て、私はリモートワークの延長をしていれば最後に立ち会えたかもしれないことを思い出した。
何故、仕事を優先したのだろうか。
指定感染症で亡くなられた方のご遺族からみたら、私はなんと愚かなことだったか。そして遺体と対面できたことが、どんなに幸せだったことか。

そして今、この指定感染症で亡くなった方のご遺族は、どれほどの無力感と悲しみ、悔しさ、どこにぶつけて良いかわからない憤りがあることか。
想像しただけで辛くて涙が出てくる。

感染しない、感染させない。
大切な人の死だけでも悲しい。だけどそれ以上の悲しみや辛く苦しい感情になる人を少しでも減らす努力はできるはず。

Stay home.

今だから考え想像できる時間がある。
1人でも感染者を減らすために協力しましょ。

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