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家で雨が降ったあの日を自分は忘れない~そこから僕はミニマリストになった~

みなさん、こんばんは。今日は雨が降ってますね~。緊急事態宣言が伸びた都内ですが、最寄り駅付近でも人通りは増えたかな?いかがお過ごしでしょうか。

さて!先日久々にコロナ明けに対する思いのNoteを書きました。

今日は1年前くらいに経験した実話を記したくなったので書いちゃいます。自分から話を聴いてくれた方もいるかと思いますが、1ミリも盛ることなく実話です(笑)気軽に読んで見てください↓​

・あの日は2019年3月11日

あの日は新宿が勤務地だった自分。せっせと業務に取り組みながら、時間は午前10時半ごろ。1回目のトイレ休憩をとろうかとプライベート用のスマホを手に取りました。『あれ?不在着信が入っているな。あ、今住んでいる家の不動産屋からだ。。なんだろうか。。家賃は払っているはず。。』

(ひとまず電話してみる)

不動産屋:『あ、もしもしすみません。〇〇(前住んでた家)にお住いのYさん(本名)でお間違いないでしょうか。実はですね。。ご自宅にトラブルが起きてて。。ご自宅内に水が浸入しています』

自分:『うん???侵入???』

不動産屋:『そうなんですよ。。おそらく隣の部屋かどこからか、水漏れが起きてるのか。。お仕事中ですよね??それは百も承知なのですが、なんとかご都合つけて戻ってこれないでしょうか?』

自分:『わ、わかりました。。。。』

(ひとまず上司に状況を報告して相談。最低限のタスクを一気に終わらせて帰路につく。この時は、この後起きる波乱万丈体験を予期さえしていなかった。。。)

そんなこんなで、自宅についたのが電話を受けて約3時間後。家に着くと不動産屋と水道業者らしき人がいた。そして一人がこちらに向かってくる。

不動産屋:『あ、Yさんですよね??たったいま原因がわかりました!!電話では隣の部屋といってたんですが、実際は上の階の方が原因でした。。どうやらキッチンの蛇口の水の出方が悪くなっていて、それでいて水をためようとしてたのか蛇口を捻ったまま出かけたみたいなんですよ。。』

自分:『な、なるほど。。。。(待てよそれ、少なくとも3時間以上は水道から水出しっぱなしだったってこと??)』

ひとまず家の鍵を開けようとする。うわ。。。ドア下からも水がなんか染み出てきてるやん。。。ガチャ。ドアを開けてみた。。。


おお。。。家で天井の広い面積から水滴が滴りまくっている。。。家の中で雨って降るんかい。。。

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そこで一緒に状況を確認してくれた不動産屋が

不動産屋:『うわ。。。こうなってますよね。。。しばらくは恐らく水は降り続けてくると思うんで、数時間後にまた落ち着いてからしっかり見たほうが良いかもしれませんね。。火災保険が適応されるかは分かりませんが、写真で情報は残してたほうが良いですよ』

自分:『あ、そ、そうなんですね。。』

もうなんかどうしたもんかと、ひとまず言われたとおりにする。ここからが、何もかも経験したことのない連続だった。

・自分が『所有』しているものに向き合う


(数時間後。。。家に戻ってきました。ガチャ。お、、、雨は止んだか。。もうそこには見るも無残な光景が。、。これまではリアルで会話した人にしか見せてませんでしたが、その時の実際の写真を何枚かお見せします↓↓)

1枚目:入ってすぐの玄関の様子。我が家ながら、土足で入ることを秒で決めました。ここはアメリカか。

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2枚目:クローゼットの中の様子。右下のストックしていたトイレットペーパーを見てください。すごい吸収力です。こんなに水を吸うんですね。持ち上げたけどあの重さは忘れない。。。

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3枚目:クローゼットにかけてた衣類です。スケスケです。

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4枚目:社外の講演会や勉強会に参加をして記録してきたノートです。ページとページが引っ付きあってとても仲良しな状況になってました。

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5枚目:こちらでラストにします。見てください。こんな瑞々しい掃除機を見たことがあるでしょうか。まるで新鮮な果物の宣材写真のようです。

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​(他にも沢山ありますが、ちょっと流石に載せれないものあるのでこの辺で。。)

こんな風に家にあったほとんどのものがずぶ濡れ状態。もうなんかよくわからない感情しか芽生えていなかったのを覚えています。そうこうしていると、原因を引き起こしていた真上の階の方が現れました。

そこにいたのはなんと、80を過ぎたおばあさん。。。

おばあさん:『この度は本当に申し訳ありません。。。』

(近い世代の若者だったら、ブチ切れてたかもしれません。わりとコミュニケーションやメンタルを鍛えてきたつもりだった自分も、感情の置き所が本当にわからず)

自分:『あ、。。。うん、。。。はい。。。』

としか言えず。。

・保険屋とのストレスフルなやりとり

そんなこんなで、落ち込んでていても仕方がない。まずは保険をもらえるかを確かめなければいけない。当時の家で加入していた保険屋に電話をしたり問い合わせるもマジデ繋がらなかった。合計何十回かはかけたはず。

1個1個やり取りを進めるごとに、またかけなおした際に繋がらないを繰り返していき。そうしてたら累計それくらい行ってたかと。向こう都合で『担当不在なんでしばらくして、かけなおしてもらっていいですか?』といわれた時は『お前がやれや!!!!(心の声)』と叫びました。

そして事件発生日から2日後か3日後に、ようやく保険がひとまず適応されることが確定。ただそこから、被害鑑定士??みたいな別業者の人とアポを取ってその人とスケジュールを合わせて訪問してもらうみたいな始末。。

その間は片づけをすると、保険の額がさがるので片付けるに片付けれず。ネカフェに泊まったりしました。。

そして鑑定当日。有休を取って待っていたのに、その鑑定士は3時間くらい遅刻してきましたね(爆)。ほどよく胡散臭さが漂うその方に、遠慮なく質問をしまくってプラン上の最大額をもらうために、試行錯誤して書類を提出しました。

さて、ここでまた大きな課題が立ちはだかったのです。保険屋に追加で言われたのが

保険屋:『もし今回の件でお引越しをされる場合は、その分の保険金の上乗せ金もあります。ただ、事件発生日から1か月以内に次のご自宅を契約して、その書類を出していただくことが前提です。』

さらには

保険屋:『今回加害者となった上の階の方がいますよね??賠償金を別途請求なさるのは自由なのです。ただ、こちらが支払う保険金が確定して振り込まれるよりも前に賠償金をもらわれた場合は、保険金はおりないのでご了承ください。』

なんじゃそらの2連コンボでした。時は3月半ば。まず物件が一番無いといっても過言でない時期。そして、知らなかったよ保険や賠償金の仕組み。それらをもらえると言えど、急な一時的なボディブローに6月を目安に考えていた自身の家計簿を見直しました。

・次の家を探そう

物件探しは本当に悩みまくりました。行けども行けども、『昨日埋まりました』『たったさっき埋まりました』『空くのは5月です』…etc。ビフォアコロナの1年前は常に土日は朝から夜までパツパツ。期限も1か月と決まっていたので平日に2日程有休を取って探し続けました。

そして最終的に決めたのは自宅最寄り駅は同じで、以前より駅チカになりちょっぴりグレードアップ。ただ、入れ替わりのタイミングだったので自身の一人暮らし史上初の『見ないで契約』(※内見しないで契約することを言うらしい)をしました。

そんな中、被害鑑定が終わった後は家の水分を拭いて掃除をしたり。捨てたり。一番きつかったのが、拭いても段々カビていくものはカビたりしてて、なんだか体調がいまいちになっていた記憶があります。。。そして4月19日には新居へと引っ越しました。

・初めての示談交渉

引っ越しも終わり。保険金も振り込まれて、さて。次は加害者の方にこればっかりはいくらか詫び金を貰わないと気がすまない。九州の両親にも相談をしましたが父親が

父:『もし逆の立場だったらどうする??詫び金払うやろ??今回のはしっかり交渉して、貰えるものはもらいなさい』

間違いない。引っ越す前の不動産屋さんに取次ぎをお願いして、連絡先を聴いて加害者のおばあちゃんに連絡。時はGWのど真ん中。朝っぱらからプロントカフェで交渉が始まりました。。。

感情の赴くままに、怒りをぶつけたって意味がないと思い。被害状況、こういうものを失った、時間も奪われて大変だった、というのを冷静に伝えた。その結果、向こうも年金暮らしできついので自分が掲示した額を十数回の分割払いでもらうことで交渉完了。そのおばあちゃんにも『本当に今回は申し訳なかったです。ただ、あなたみたいな方でよかった。。。』といわれました。大人な対応した自分をほめたい。ただ、まだ分割払いが絶賛継続中(何回か向こうがキツイって理由で休まれましたが。。。)。ちゃんと払ってくれると信じたい。

・それでも自分は休まなかった

知っている方は知っている。ここまで書いたような対応をしながら、去年のその頃は2019年5月~9月末まで共同経営をしていたレンタルキッチンスペース東日本橋SHOKUTAKUのリニューアルオープンに向けて、立ち上げ準備も同時進行でやり。(もう懐かしい~(笑)今のこのご時世となってはたたんでよかった。。。(笑))

3月~5月も毎月4本程度のイベントを主催や共催していたが、1個も中止や不参加はせず。他にも諸々いろんな予定や約束があったけど1個もキャンセルしませんでした。会社も物件探し以外は休まず仕事したよ。だって、この自分の状況は一緒に時間を過ごす予定だった人たちには関係ない。自分の努力ですべて乗り切ろう。そう決めて突き進んだ約2か月でした。

・学び/決意&そして僕はミニマリストになった

いやー、書きましたね。。長い。。もうしばらくお付き合いください。。(笑)ここまでを踏まえて。。大きく3つ

①買い換えようと思っても買い換えられないものもある

上記した被害にあったものの中で特に感情が揺れ動いたものが2つある。1つが数年間社外で勉強してきて使ってきたノート。もちろん頭の中に残っている知識もあるけども、いざって時の振り返りができない。。お金も時間もかけて学んできたことがあそこには詰まっていた。

そしてもう1つがクローゼットにかけていた衣類の一部。2月末が誕生日の自分。九州の実家から母親が『誕生日プレゼントです。ユニクロだけど、部屋着でも良いから良かったら着てくださいね』と手紙付きで送ってくれた服が何着かありました。しかし、それらは上の階から天井を伝ってきた汚い水を含んで、白い服が茶ばんでしまっていました。2回か3回しか着てなかったけど泣く泣く捨てました。同じものはユニクロに行けばあったでしょう。ただ、『母親から貰った』ことに意味があったんだよなって。

②時間は有限

3月~5月頭までは上記した通り事件発生前から決まっていた予定は全部こなしました。ただ、それ以外の時間はやっぱりここまで書いたような諸々の対応に時間を取られまくりました。このことが起きなかったら、隙間時間でやりたかったことも沢山後回しにした記憶があります。事件が起きたこと自体が勿論つらかったですが。『自分のせいでは一切ないことで時間を奪われる』ことが死ぬほど辛いということがこの経験を通じて、本当に学びました。色んな経験や失敗はした方いいというのは間違いありません。ただ、この経験は皆さんはしなくて良いと思います!(断言

③やっぱり『稼ぐ』必要はある

家探しをしているとき気づいたんです。。『これって自分がもっと収入が高ければ選べる物件数増えるんじゃん』と。。そう、当たり前のことなんですけど、賃貸は自分の収入で選べる選択肢が決まっています。何も家だけじゃないですね。食べるものだって、着るものだって、あらゆる経験だってそう。大切な人にプレゼントしたり、大切な人が困っていたら助けるのにもお金が必要です。これが『お金がないからできない』。。は本当に嫌だ。。今回みたいなことが自分の大切な友人や家族に起きた時に、『これほんの気持ち!!』と見舞金をバシッと渡せたら最高ですよね。自分だけじゃなく周りにいる人も含めて大切な人を守っていくためにも『稼げるようになろう』そう決めたのです。


そしてあれから1年。引っ越した先に一旦運んだものも更に捨てたり、売ったりして『ミニマリスト』になりました。無駄なものをなくし、今『お金』も『時間』もかけたいものに全力で投資できる。片づけが苦手だった自分ですが、今となっては床に接している家具は机だけです(笑)物を探す時間もほぼ無くなったし、掃除もマメにするようになりました。。

次は『統一性』と『機能性』と『生産性』を上げるために部屋を進化させることを目論んでいます。

自粛明けにはお店に美味しいものも食べに行きたいですが、物がなくて広々使える我が家で宅飲みもしましょう(笑)


いやー!過去一の長文!(笑)ここまで読んでいただきありがとうございます!!


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