北斎の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」の船乗り達は笑っているのではないか
葛飾北斎の代表作として世界的にも有名な浮世絵の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」。
最近、子供が勉強している歴史の教科書を何気なくパラパラとめくっていたら目にとまりました。
改めて見ると、山のように高くせりあがった巨大な波が崩れ落ちる瞬間と、波の向こうに雪を頂いた富士山。そして、大波に翻弄される船乗り達。
構図の巧みさと静と動のバランスは本当に見事です。
いい絵だよなあと、よくよく眺めているうちに、ちょっと、どうでもいいことかもしれないのですが、船乗り達の表情がなんだかすごく気になってきました。
狂暴な自然になすすべもなくしがみついている船乗り達。。
悲惨な状況でありますが、なんだかコミカルな表情にも見えなくはないです。
波は詳細かつ鮮明、そして豪快に表現されている一方で、人間の表情は意外とあっさり、さらりと描かれている。
人間自体ちっぽけな存在で、その顔自体は構図の中ではほんの小さなスペースしかなく、ましてや版画なので十分表現できなかったということでしょうか。。
いろいろ調べているうちに、太田記念美術館のnoteに、「神奈川沖浪裏」の細部にわたっての鑑賞がありました。この鑑賞、面白いです。
たしかに、このような状況では、もう悲壮な表情という感じだと思います。自分がこの乗組員だったら、、表情がガチガチに凝り固まってしまうか、もう無表情なのかもしれません。
とは言え、この船は、鮮魚を江戸市中へ運ぶ小型荷船とのこと。スピード勝負で江戸に届けるということは、こんな荒波の季節であれば江戸で高値で取引されるはず。この船乗り達は、それなりのリスクを取り、それなりの報酬を得ていた腹の座った猛者達だったのではないか。
この船乗り達の表情は、点と線のシンプルな描き方で、「表情がみえない」感じなのですが、じっとみていると、恐怖のような無表情の反面、気合を入れて笑い飛ばしているような気もしてきました。
特に、上記の写真の手前の右から2番目の船乗りは口角が上がっている感じで、不敵に笑い飛ばしている感じもしなくないです。
ほんとの所はどうなんだろう、、
ということで、先日、原宿にある太田記念美術館に北斎の「神奈川沖浪裏」の原画を見てきました。
北斎の富岳三十六景は、想像していたよりサイズが小さく意外な感じでしたが、ガラスにギリギリまで顔を近づけてじっくり見てきました。
(サイズはA3より小さい感じ?版画なのであまり大きくできないということかと思いました)
荒々しい巨大な波の「動」と富士山の「静」。その自然に翻弄される船乗り達の構図の中で、『江戸に活きのいい鮮魚を届けるぜ!』という、彼らの心意気のようなものが感じられないか、、
手前の右から2番目の船乗りは原画では小さかったですが、目を凝らしてじっとみてみましたが、やはり、こんな状況だからこそ、大波を笑い飛ばしている(笑い飛ばさざるをえない)ような気がしました。
こんな感じをうけたのは私だけでしょうか。。。
また、太田記念美術館では、ちょうど「北斎とライバルたち」という展覧会を実施していて、北斎だけではなく、広重、写楽等の同世代、同時代の絵師たちとの比較展示も行われており、十分楽しめました。
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