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草木塔・上杉鷹山・山頭火

先日、上杉鷹山ゆかりの地を訪ねて山形県米沢市に行ってきました。
その地でたまたま見かけた「草木塔」という石碑がとっても気になっています。

伝国の杜前広場の上杉鷹山公の像(座像)横にある「草木塔」。

「草木塔」とは、山形県米沢市周辺地域(置賜地方)を中心に江戸時代に建立され始めたものと言われています。
 
「草木塔」の建立は、山仕事に従事する人々が、樹木の伐採は搬送時における作業の安全を祈願すると同時に、採取した草木の魂を供養・鎮魂し、山の恩恵に感謝することなどに由来したとのこと。

米沢市にある江戸期の「草木塔」は、すべて市指定有形民俗文化財に指定されています。

最も古い「草木塔」は、1780年(安永9年)、江戸時代に今の山形県米沢市大字入田沢字塩地平にて建立。その時代はまさに、米沢藩主・上杉鷹山が藩政改革を行っていた時期と重なります。

1772年(安永元年)に米沢藩の江戸屋敷が焼失、その再建のために山形県米沢市大字入田沢字塩地平の山林の木々が伐採され江戸に送られています。

また、1780年(安永9年)にも、現在の米沢市粡町・銅屋町・立町などで大火があり、その復興のために大量の材木が伐採されたことに対する感謝の念が、建立するきっかけになったと推定されています。

「草木塔」関連の本を買い求め読んでみました。

山形大学で「草木塔」のシンポジウムが平成18年に開催されたときの記録

現在、日本国内に120期基以上が確認されていて、そのうち9割ほどが山形県内に集中しており、上杉鷹山の教化によるものという説もあるようです。
(「いのちをいただく」山形大学出版会p39、p134)

石碑には「草木塔」という言葉の他に、「草木供養経」、「山川草木悉皆成仏」という言葉が刻まれている。また、古い「草木塔」(安永9年)のごく近いところには「草木国土悉皆成仏」という碑が立っていそうです。この言葉は大乗仏教の教えで、非情、無常の自然物まで、仏に成り得る可能性を持っているというもの。

動物慰霊碑というのは多くありますが、いわゆる植物慰霊碑的なものは珍しいのではないかと思いました。そして、この「草木塔」は江戸時代だけのものでなく、昭和、平成の時代にも山形県を中心に建立され続けているそうです。

江戸時代時代以降、大正時代までは、樹木の伐採等の業に従う村の人々が、一村共同で自らが伐った樹木の霊を弔い、かつ山の恵みに感謝し、山の神に仕事の無事を祈るとの趣旨で建立するのが例であるが、昭和三十年以降は、森林組合・園芸組合・自然保護団体や土木建設業者、あるいは草木染研究家個人が、彼等のために犠牲に供せられた草木の霊を慰め、かつ自然環境の保全を祈るとの趣旨で建立する例が多くなる。

(「いのちをいただく」山形大学出版会p136)

改めて考えると、動物も植物も同じ「生物」。生命としての本質はあまり違いはないような気もしてきました。

そして、植物は動物とは違った形での感覚機能を有している。植物は、光や色、香りも、人間が手で触れた時に鑑賞、重力の方向等も植物なりに「知っている」とのこと。

「植物は動物のようによりよい環境に移ることができない分、気まぐれな気候に順応し
侵害してくる雑草や害虫に抵抗するすべを身に付けなければならず、複雑な
感覚機能と調整機能を進化させてきた。」(同書p10)

また、植物は動物のようは動かず(動くことができず)、声を出さないためモノ扱いされがちですが、樹木には社会性があり、木々同士でコミュニケーションをとりあい、時には助け合うという存在のようです。

著者は長年ドイツでの森林管理仕事をしており「営林方法も、樹木の習性を尊重したやり方に
変えることにした。人間と同じように木も痛みを感じ、記憶もある。木も親と子が一緒に
生活している。そういうことが分かった以上、手当たり次第に木を切り倒し、大きな乗り物で
樹木の間を走り回る気になどならない」と語っています。(同書p10)

動物の観点から植物の行動や認識、感覚を捉えようとすると、表面的な理解しかできないような気がしてきました。

生命活動に、動物も植物もなんら差異はないとすると、現在「動物倫理学」なる領域で種々議論がなされているようですが、「植物倫理学」というものもあってもいいのではと思いました。
(動物倫理学:人と動物との関係が本来どのようにあるべきか、また動物とは本来いかなる存在であるかといった問いについて、哲学的・倫理学的に研究する分野)

そんなことを思いつつ、草木塔を調べていくうちに、自由律俳句の種田山頭火の自選句集のタイトルが「草木塔」であることを知りました。

この句集には有名な「分け入っても分け入っての青い山」の他、
「ほととぎすあすはあの山こえてゆかう」
「この旅、果てもない旅のつくつくぼふし」
など、とても味わい深い句が続いています。

山頭火は芭蕉の「奥の細道」を追体験するため、芭蕉が二泊した新潟県村上市にある同じ宿に宿泊した時、山形県にある「草木塔」の存在を知って感動し、句集の題名にしたそうです。

山頭火は出家しており、托鉢と放浪の旅、そして酒と俳句の孤独な生活の中で、樹木の慰霊としての草木塔、そして石碑に掘られた「山川草木悉皆成仏」という言葉に感じ入ったものがあったのではと思います。

さて、最近では、地球環境保全・サステナビリティの重要性が語られ、「生物多様性」が重視されています。「生物多様性」が重要であることはそうなんだなあと思いますが、一方でこんな議論も。

生物多様性の尊重はそれ自体すでに一般常識と化しているが、ではなぜ生物多様性が重要なのかという理由はそれほど自明ではない。広く受け入れられて説得力があるのは、生物多様性を尊重して不注意な開発を行わないことにより、新たな経済的資源が得られるというものだ。例えばアマゾンの原生林の開発を抑制することにより、まだ知られていない重要な科学的発見につながるかもしれないとう話である。地元部族のメディスン・マン(呪医)に伝わる生薬が、難病治療の特効薬開発につながったりする可能性がある。開発を抑制して、手付かずの自然をなるべく多く残すことは、短期的には不利益でも長期的には大きな利益を生む。そのために生物多様性を尊重すべきだという話である。

「はじめての動物倫理学」p219。田上孝一/集英社新書

一方で、上記の本「いのちをいただく」に記載されていた山形大学のシンポジウムでのパネラーの方の言葉がすごく印象的でした。

草や木の命を絶って私たちが生かされている。それを供養するんだという気持ち、それから自然の恵みに感謝をするという、その気持ちが江戸時代の人達にはすごく感じられておったのかなと思います。まさに自然と共生しているというそういう思いがこの「草木塔」に込められているのかなというふうに思っているところです。

「いのちをいただく」山形大学出版会p20

「生物多様性」のとらえ方にはいろいろな考えがありそうですが、改めて、「生物多様性」とは何であり、何を守ろうとしているのか。もう少し考えてみようと思いました。長期的な観点で、人間の経済的資源の確保としての「生物多様性」ということは、「持続可能な社会」の維持にはそれはそれで大事なものと思います。

江戸時代の米沢藩でも、ある意味、経済的資源の確保のために森林の伐採を行い、江戸藩邸や町内の復興に充てている。

しかし、自然に対して経済的資源としての活用の根底に、「草木塔」のようなひとつの「想い」のようなものが引き継がれ、さらには時代を経て、感性豊かな山頭火をして句集のタイトルに使わしめたり、現在でも「草木塔」が建立されていることは大切なこととして引き継いでいくべきものと思いました。

#草木塔 #上杉鷹山 #山頭火 #植物 #動物倫理学 #サステナビリティ #生物多様性


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