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実務翻訳者5年目の所感

かなり久しぶりの投稿になります。
これまでは読書のアウトプットのような記事を書いてきましたが、今回は主に仕事のことや、自分語りなどをしてみようかと思います。
タイトルのとおりですが、私はフリーランスで技術文書の翻訳者(英日/日英)をやっており、この記事はその5年目時点での所感をまとめたものになります。

インターネット上やこのnoteというプラットフォームには、既に翻訳者の方々が投稿した数多くの記事がありますが、そういった記事は翻訳者を目指す方々へのアドバイスであることが多く、翻訳業を続けている方が、どういったことを考えながら仕事に取り組んでいるかを書き残したものは少ないように感じます。
ただ、それも考えてみれば当然のことで、案件が絶えず、日々仕事に取り組んでいる翻訳者は、そんなアウトプットに時間と頭脳を割けないのが普通でしょう。
幸いなことに、私も1~4年目までは(コロナ禍の収入減を経験しつつも)比較的順調にお仕事をいただき、充実した日々を送っていました。そんな好調な翻訳生活を経た上での5年目、ここで一旦所感を述べてみるということはつまり……ヒマなんですよね。

ただし、厳密に言うと、好調な数年間にもはっきりした繁忙期と閑散期があり、やはり暇なときは2~3週間休みが続くことがちょくちょくありました。
そういった状況に陥るたびに、元会社員の私は「干されたか!?」とか「不安定ってこういうことかぁ」とか思いながら徐々に慣れていったわけですが、今年はその空白期間が明らかに延びています。
これについては、円安の影響だとか(実際、英日の仕事は激減している)、国際情勢の不安定さだとか、本当に干されているだとか、色々考えるわけですが、結局、そんな大きな情勢に対して自分という個人ができることは何もないんですよね(本当に干されている場合を除く)。

それならばこの暇な期間を使って、自分の翻訳業をいっちょ振り返ってみるかぁ、というのがこの記事の主旨です。
大前提として、この文章を書いたのは、「地方都市で、自分一人で食っていける収入を得られている(得られていた)」という程度のフリーランス翻訳者です。
そのため、翻訳者を目指している方々には夢のない話と思われるかもしれませんが、ひょっとすると、同業者の方々には楽しんでいただけるかもしれません(笑)。


実務翻訳という仕事を続けてきて

まず、「実務翻訳」についての詳しい説明はここでは割愛します。簡単に言うと、出版物ではなく、会社内や企業間で取り交わされる文書を専門に取り扱う翻訳の業種で、「技術分野の翻訳者」と言えば同業者の方々にはわかっていただけると思います。
さて、翻訳5年目というと、業界内でいえばまだまだ駆け出しみたいなもんと思われるかもしれませんが、当人である私としては、実に様々な文書を翻訳してきたなぁという濃密な経験の蓄積を実感しています。
今では文書の種類に応じた作業手順や注意確認がおおむね確立され、各文書向けの適切な文章表現が頭に入り、そして英日/日英ともに、始めたての頃よりも相当こなれた訳文を書けるようになったと(自分では)思っています。

いわゆる技術文書という文書種類の最大の特徴は、「文書の作成者がプロの書き手ではないこと」であると私は考えています。
BtoB製品の取扱説明書や仕様書、そして現場レベルで作成される諸々の報告書類は、(日本語/英語を問わず)率直に言って文章がとても荒削りです。それもそのはずで、私自身も元メーカー勤務の技術者だったのでよくわかりますが、こういう文書は設計や機械評価の片手間で作られているんですよね。
もちろん、技術文書作成も技術者の大事な業務なのですが、どうにもモチベーションが湧きにくいのが現実だと思います。ましてや技術者は理系ですから、文章をスラスラと書けたり、そもそも文章作成が好きだったりする方は極めて少ないでしょう(ひょっとすると、文/理を問わないかもしれませんが)。

そういった文書と向き合う仕事ですから、正直なところ要領が得られず、解釈の難しい箇所もたくさんあります。
典型的なもので言うと、日本語の文章には主語がないことが多く、これを読みやすく英訳するために、技術や設計業務の背景知識が必要になったり、場合によってはクライアントに問い合わせたりすることがあります。
また、これに限らず、人間が書いた”ナマの”文章にはどうやら様々な個性が表れるようで、一つとして同じものがありません。
これはわずか数年の翻訳経験を通じて私が強烈に実感していることで、「もう少し同じ文章が来てくれてもいいんじゃないかなぁ」と毎回思っています。むしろ、今では技術記事のような”整った”文章を相手にすると戸惑ってしまうくらいです。

ただ、色々な困難に直面しつつも、こういったナマの文章と向き合うことが自分の仕事の肝(きも)であると、今の私は感じています。
プロではない方々が書いた荒削りの文章をその背景も含めて適切に解釈し、別言語に翻訳するという仕事には、とてつもなくやりがいがあります。
もちろん私は翻訳者なので、原文に勝手な足し引きをするわけにはいきません。しかし、曲がりなりにも文章の専門家ですから、翻訳を通じて少しでも文章の質を高めてあげたい。言い換えれば、「この作文、絶対オレの仕事じゃねえよ……」と思っている技術者の方を助けてあげたい、という思いがあります。
現状では、これが私の中で最もはっきりしている自分の翻訳姿勢ということになるでしょうか。

英語力は向上したのか?

次に、自分の英語力を振り返ってみます。
リーディング/ライティングの能力については、さすがに始めたての頃とは比べ物にならないほど向上したと言ってよいでしょう。
(その反面、日常生活で英語を使う機会はないため、リスニング/スピーキングの能力は一切向上していません。)

英文リーディング能力の向上を最も強く実感するのは、自分がわかる分野(工業、技術など)の洋書であれば、あまり辞書を引かずに通読できるようになったことです。ただしその一方で、自分のわからない分野の文章については、相変わらず辞書を引きまくらないと読めたものではありませんね。
それでも全般的な読解力は間違いなく向上しており、例えば海外のニュースサイトの記事なんかは、多少はわからない単語があってもいちいち止まらずに読めるぐらいのレベルには達しているでしょうか。
(ただし、やはり日本語の文章に比べて読む速度は格段に遅いです。)

英文ライティングについては、いまいちわかりやすい例を挙げられませんが、ネイティブチェックで大幅に修正されることはほぼなくなった、という程度でしょうか。
お恥ずかしい話ですが、翻訳の仕事を始めばかりの頃は英文を丸ごと修正されたりもしていて、工数を大きくとらせた申し訳なさを感じるとともに、「次の仕事が来ないのではないか」という恐怖に怯えたものです。
しかし、それでも今日に至るまで多くの日英案件を任せていただき、成長させていただけたわけですから、現在お世話になっている翻訳エージェントには感謝しかありません。

翻訳5年目の英語観

現時点では、こと技術分野について言えば、実のところ日本語文よりも、主語&動詞がはっきりしている英文の方が率直でわかりやすいと思っています。
なんといっても、主語なしで成立してしまう日本語の一文に対し、英語の一文は「~が、…する」という論理関係が明確です(この「論理関係」が適切な表現かどうかはここでは置いておきます)。そのため英訳では、論理の意識が希薄な日本語の一文を、いかにこの論理関係に落とし込むかがポイントになるでしょうか。
そういったことから、今のところ私は和訳よりも英訳の方にパズル的な面白さを感じています。

もう一点、日本語と英語とで大きく異なると感じるのは「名詞」です。
はっきり言ってしまえば、日本語の名詞はかなり簡単に使えますが、英語の名詞は複数/単数を明示しなければならない上に、必ず「冠詞」を伴います。個人的には、この名詞と向き合っているときが、「日本語と英語って全然違う言語だよなぁ」と感じるタイミングです。
翻訳者としては、英訳ではこの名詞の表現にいつまでも悩むことになりますし、実際のところ、英語ネイティブ間でも意見が分かれる場合があると思われます。

また、これも私個人の感覚ですが、日本語と英語とのおおまかな差異として、(名詞に限らず)単語レベルで言えば日本語の単語は意味がはっきりしているのに対し、英単語はときに曖昧で意味の幅が広いように思われます。それと同時に、一文という単位で見ると、日本語の一文には曖昧さがある一方で、英語の一文は率直で意味がはっきりしているように思われます。
なんだか不思議な話ですが、現時点で私が抱いている英語観として、以上の点をここに書き留めておきます。

仕事量と収入

おそらく翻訳者を目指している方々が気になるのは、フリーランス翻訳者が実際にどのくらい稼げるかという話だと思いますが、私自身について言えば、先述のとおり「地方都市で、自分一人で食っていける収入を得られている(得られていた)」という程度です。
さすがに具体的な金額は明示しませんが、翻訳関係の統計を参照すると、おそらく専業の翻訳者の中では”中の下”ぐらいで、業界の先輩方には「もっとがんばれよ」と言われてしまうだろうなぁ、という感じですね。
現状、私は独身だからやりくりできていますが、裏を返せば、この収入のみで家族を養ったりするのは間違いなく不可能です。

ただまぁ、この低空飛行の原因は何なのかと言いますと、そもそもの設定単価が(おそらく)低いことや、明確に暇な期間がちょくちょくあること、そして積極的な営業活動をしていないことなどで、自分の中で大体わかってはいるんですよね。
ただ、繁忙期の数か月間で忙しい毎日を過ごしていると、それだけで日々の充実感に甘んじてしまいますし、1~2週間程度のスケジュールの空きだと、溜まっている本を猛烈に読み進めてしまいます。
詰まるところ、フリーランス翻訳者にありがちだとは思いますが、「商売下手」という一言に尽きるでしょう。

仕事量という点で言えば、現在、私が継続的に取引している翻訳エージェントは1社のみです。
これもまた先輩方に呆れられそうな話ですし、「自営業者たるもの、複数の業者と取引してリスクを分散せよ」という鉄則は頭では理解しているのですが、ここにはずばり一人親方ゆえの難しさが付きまとうわけなんですね。

というのも、実際にはその1社以外にも数社の翻訳エージェントに登録できていますが、やはり多くのエージェントからは一度もお声がけいただいていないというのが実情です。
また、幸いにも案件の打診をいただけたエージェントもいくつかありますが、タイミングの悪いことに、そういう話はメインのエージェントからの案件で死ぬほど忙しい時期に来てしまうのですね。そうなるとこちらは一人ですから、処理量には限界がありまして、泣く泣くお断りする羽目になります。その結果、懇意になる翻訳エージェントが1社に絞られていくわけです。
暇な時期に打診をいただければいくらでも対応できるのですが、そういった機会にはいまだ巡り合えず、このことからも技術分野の繁忙期・閑散期はエージェント間で共通であることが推察されます。
このあたり、個人翻訳者の皆さんはどう向き合っているのでしょうか?

フリーランス翻訳者の生活

そうはいってもフリーランス翻訳者の生活は自由そのもので、ストレスフリーです。たとえ収入が不安定で先行きが不透明でも、毎日8時間寝て好きな時間に起き、健康状態は会社員時代よりも格段に良好です。

ただ、同業者の方にはわかってもらえると思いますが、翻訳という仕事はとてつもなく頭を使います。
私の連続稼働日数は5日間が限界で、基本的には余裕を持って4日間の連続稼働でスケジュールを組むようにしています。連続稼働後の休日は頭脳の疲労がピークを迎えており、もう頭はグワングワンで、目の奥は重く、何もする気になりません。
それほどの疲れが溜まるのですから、仕事の後に本なんて読めるわけがなく、この読書と両立できないという点が、私にとっては翻訳業の唯一の不満といえるでしょう。

こういったことの反動から、スケジュールが空くとつい読書に耽ってしまうのですが、やはり人間不思議なもので、暇な期間が長引きすぎるとその読書にも身が入らなくなってきます。
もちろん、次の仕事が来ないことへの不安が募るのも理由ではありますが、なんというか、納期などのプレッシャーが程よくかかっている方が趣味にもメリハリがつき、時間が有り余るとかえって有効に使えなくなるものです。
あまりにも贅沢な話ですが、やはり余暇は忙しさの合間でこそ輝くということでしょう。

おわりに

いざこうして振り返ってみると、やる気があるんだかないんだかよくわからない、自分の中途半端なスタンスばかりが見えてきますね(笑)。
ただ、今年の尋常でない暇さ加減にはさすがに読書ばかりしているわけにはいかず、自分の翻訳分野の拡大を図ったり、ホームページを作ってみたりと、自分なりにですが、翻訳業を続けていくための取り組みを模索しているところです。
翻訳産業は「受注産業」と言われることもありますが、営業活動によって必ずしも需要が生まれるわけではなく、結局は翻訳対象の文書が発生するのを待つしかないのが(おそらく)この商売の辛いところでしょうか。

世界もおおむね悪い方向に変わってきていますし、自動翻訳の技術も日々進歩していると思われますが、そんな中でこのやりがいのある仕事をいつまで続けられるのか。
それは将来、翻訳10年目あたりの私が振り返ってくれることに期待します。

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