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「子どもが危ない!」密林に書いたブックレビュー

以前、江原氏が自身のサイトで、「この本だけは一家に何冊も置いて読んでほしい。この様に勧める自分の本は他にない。」といったことを書かれていたと思います。それだけ重要な本だとご自身で語っていたことを、私は単に子ども思い・子ども好きなためだと思っていた節がありました。けれども、このレビューを書くために、既に何度も読んだ本を、更に何度も熟読してみて、江原氏の思いがやっと理解できたと思いました。
この本は、はっきり言って本当の理解をするのはすごく難しい本です。といっても、難しい表現があるわけではなく、寧ろ平易に、懇切丁寧に書かれています。何が理解を難しいものにしているか。それは私たちの身について、血肉のようになっている「物質主義的価値観」です。本書は「霊的価値観」または「精神的価値観」に沿って書かれていて、その実践を強く勧める本なのですが、私たちが知らず知らず行為し、信奉し、思念している価値観がこの本の真の理解を妨げるのです。
私たちの「物質主義的価値観」、これが幸福へと向かう価値観ならば問題ないのですが、本書が鮮明に示しているように、不幸への価値観とも闇の価値観ともいうべき、諸悪の根源がこの価値観であり、時代の価値観なのです。本書が執筆されてから十五年以上経ちますが、時代はこの価値観を弥増しており闇へ闇へと、暗闇の暴走列車のごとく突っ走っているように思われます。
それだけに、本書は平易な表現であり誰にでも読める本でありながら、あまりにも深刻であまりにも真実なために、この虚偽の時代にあって理解できる人はごく一握りであると、私は思わざるを得ないのです。
この書籍が、今もって強い意義と光とを持っていることは、驚嘆すべきことではありますが、一方で悲しいことであり、私たちが岐路の時代において、正しい道を選べなかった証左でもあります。忸怩たる想いではありますが、なすべきこと、正しいことを正しいと認めて私は実践し、歩もうと思います。
深い祈りともいうべき本書に見合う文章であるかは甚だ疑問ですが、私にできる精一杯の祈りでこの文章、レビューを書きました。どうか、本書の光が闇で喘ぐ現代の類魂・魂たちの奥底に届き、照らしてくれますように。
最後に、熟読を重ねに重ねて、若干でも理解できたと思うことを、お目汚しに少しだけ箇条書きで書いてみたいと思います(以下の箇条書き、メモは私見です)。

・「魂」という人間の構成、人間の本質からの視点により、本書の論は展開される。

・「子ども論」であり「大人論」でもある。

・単なる「子育て論」でもない。霊的な意味での「教育論」であり「人間論」である。それが故に予言的ともいえる大きな視野を持つに至ったのである。

・人間の本質を抉る書。光(霊的価値観)からも闇(物質的価値観)からも。行間には魂の嘆き、涙がある。それはつまり愛である。
血を吐くようにして綴られたこれらの文章が示すもの、それらは愛であり、それは未来への視力を持った。予言のように、次々と現実となった悲しい出来事。
子どもを救うことは、大人たち、自分を救うこと。大人たち、自分を救うことが、子どもを救うこと。(子どもを救うための本であり、同時に親を越え、親を救うための本ともなる。)
疎かに見てはいけない。この書が示す真実に目を開くべきである。

・「教育」の本質を哲学すると見えてくるもの。「人間」「真理」「愛」。教育は一方通行のものではなく、双方向的なものである。

・「教え育てること」が教育ではなく、「教えを育むこと」が「教育」であるという。これには深い示唆がある。「教え」とは「真理」であり「愛」であるという。
「教育」とは「真理を育むこと」「愛を育むこと」。
端的、細かく言うと、与えることは寧ろ与えられることであり、これは真理であるが、その悟りは与える場あってのこと。与える機会あってのこと。それ故、家庭、家族という大きな教育の「場」は尊い。悟りこそが浄化と言えるだろうからだ。真実の親子の関係は社会の浄化をもたらす。

・「光」と「闇」の理解。
光は霊的価値観であり、愛であり、真善美であり、神である。
闇は物質主義的価値観であり、憎しみであり、偽悪醜であり、悪魔である。

・「光と闇の法則」から言えば、私たちは地獄のような世界で愛を渇仰することで「光」を学ぶこともできるし、天国のような世界で愛に満たされて「光」を学ぶこともできる。これらは選ぶ事が出来るが、私たちは地獄への道、闇の中で「光」を学ぶことを選んでいる。


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