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「親ガチャ」という言葉

近年になって親ガチャという言葉をよく耳にする。これは子供にとって親は選ぶことが出来ないということを、ゲームのガチャに例えた表現だ。正直言ってよく言えていると思う。ただ中には「親ガチャ」という言葉を嫌う人も少なくは無いと思う。何故なら、今まで自分を大切に育ててくれた親に対して、ゲームのガチャに例えるのは失礼だからなのだろう。あまりきれいな言葉ではないというのは確かだ。

ここで私の「親ガチャ」という言葉への考えを書いてみる。私は「親ガチャ」という言葉が好きではないが、社会の現実を的確に表していて、目を向けなければいけない現実だと思う。私自身も毒親の元で育ち、苦しい思いをしてきた。例えば、子供の生き方を尊重してくれる親の元に生まれた子と、子供をまるで自分の道具かのように支配しようとする親の元に生まれた子供とでは、残念ながら将来の可能性が違ってしまう。本当に残酷な現実だ。上記は一例に過ぎないが、他にも様々な運要素があると思う。

私は実際にその一例を見てきた。私は高校生の時に塾に通っていた。その塾は自習中心の塾で、好きな時間帯に来て好きな時間帯に帰っていいというものだった。私の同級生である女の子が通っていたがその子は本当に勉強を頑張っていた。しかし、親の教育方針で実家から通うことが出来る大学(地方の大学)にしか通うことが出来なかった。仮に親が、子供の自由を尊重できる人間で、お金をかけることも惜しまない人間だったなら、彼女にはもっと他の選択肢があったのだろうと思う。実際彼女はmarchに行くことが出来るような人間だった。

「親ガチャ」という言葉によって、子供は親次第で可能性が決まり、もがき苦しんでいる人もいるということが広まればそれはそれでいいことだと思う。理想を言えば「親ガチャ」なんて言葉が出ないくらいに、全ての子供は良い親の元に恵まれてほしい。しかし現実はそうではない。虐待、DV、貧困など、そのような環境の中に生まれてくる子供がいることも事実だ。少なくとも私が出来ることはこの問題に関心を向け続け、良い親になろうとすることだと思う。そうすることによって、不幸になる子供を減らすことは出来ると思う。




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