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私が書き続ける理由

私が「佐藤ささ」としてエッセイを書き始めてから、毎日投稿をし続けている。基本的に、毎日18時投稿。用事があってどうしても18時に投稿できない日は、時間ができ次第投稿している。

どうして私は、書き続けるのだろうか。

自分で始めたことながら、こんなことを自問するのは滑稽に見えるかもしれない。でも、何のために書いているのかを見失ったら終わり。自分を見失っては終わり。だから、私が書き続ける意味を書いておこうと思った。たとえ、私が書く目的を見失ったとしても、初心に戻れる文章を今のうちに書いておこうと思ったのだ。


私が書き続ける理由

私にとっての”理想の書き手像”については、以前投稿したのでリンクを載せておく。

では、そもそも私が書き続ける理由は何だろうか。

自己表現のため

私は、他人に自分の意思を伝えるのが苦手だ。いくら私が褒められるようなことをしても、100%褒められることが少なかったからだ。たいてい、「もう少しこうだったらよかったね」とか「〇〇してくれてもよかったんだけど」という枕詞がついてくる。これが原因なのかは分からないけど、自分の意思を心の中で押し殺す癖ができてしまった。

ここには、人に相談することも含まれる。私が中学生の頃、部活の顧問に私自身を否定されたことがトラウマに繋がったからだ。担任に相談しても、私の納得する答えは返ってこなくて。「誰かに相談しても、あまり意味はない」と考えるようになった。

言葉を口に出すより、言葉を文字におこすことの方が得意だった。学生時代によく書かされた作文や、芸術鑑賞などの感想文。これらを書いている時の方が、自分の考えをきちんと言葉にできる。それとともに、自分の個性を言葉にのせて相手に届けられる気がして。そこに気づいた学生時代。「書くこと」の原点であり、書く意味だと私は思っている。

心の純度を上げるため

私の心が澄んでいるかは分からない。今後の努力次第で、私の心が澄むのかも分からない。でも、”純粋な物書き”であるためには、純粋な心を持ち続ける必要があると私は考えている。

素直であり続ける。自分の心に従って、物事を感じ取る。こういったことの度合を、私は勝手に”心の純度”と呼んでいる。これを上げるために、自分の思考や感情を言葉にして、頭の外に出すことが大切だと私は考えている。

私は特に、怒りや悲しみなどのネガティブな感情ほど、自分自身の外側に出すのを渋る傾向にある。人を傷つけることはどんな方法であれ、決してやってはいけない。ただ、ネガティブな感情に対して、素直になることも大切。言葉の力を使って、ネガティブな感情を引き出す。ここにも、書く意味があると私は思っている。


書く意味、書き続ける理由に正解はない。きっと、人それぞれのはず。私は私らしく、これからも書き続ける。

私の思いが誰かの心に届きますように。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。いただいたサポートは、今後も私が書き続けるために必要なものの調達に使わせていただきます。