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リハビリテーション治療における臨場感と没入感

コロナ禍では人がいないところを探し,近くの海へ子どもとよく出かけました.
和歌山市の雑賀崎は日本のアマルフィと言われており,景観を楽しめる場所です(あいにくの曇り空).

和歌山市 波早ビーチ
和歌山市 雑賀崎

ふと,人は自然環境下の制約のもと,生きていく環境を求め集合体として発展してきたことをあらためて感じました.
感情が刺激される綺麗な景色は,報酬にもとづく能動的な探索を導いてくれます.
コロナ禍では旅行にも行けないことから,ネットでは映像で旅行気分を味わえるというものまであります.
現地にいるような臨場感を楽しめるアイデア,素晴らしいですね.
個人的にはZoom飲み会も好きです.

臨場感と没入感

臨場感というワードは,没入感とともにバーチャルリアリティ(Virtual Reality: VR)を応用した治療開発の重要な要素であり,近年では中枢神経系疾患(片麻痺者)に対するリハビリテーション治療に応用した報告が増えてきました.
VRを応用した中枢神経系疾患に対する治療成績の研究では,なかでも痺れや神経障害性疼痛(とくに視床痛)に効果的であるようです.

臨場感はあたかもそこに自身がいるという知覚経験であり,
没入感は他のことが気にならなくなるほど,ある世界観(対象や場)に意識が集中している状態を指します.
これらは,遠隔受容器による知覚と運動の統合メカニズムが考慮されており,体性感覚系による振動や触覚,機械式装置を使った深部感覚へのアプローチまで展開されています.
VRを応用したリハビリテーション治療の詳細は,研究論文を検索していただき,ここでは割愛します.

一方,VR空間が作り出す世界では,環境適応の実現に向けた運動制御に求められる重要な知覚情報が得られないとの指摘もあります.

視知覚世界

視知覚においては,二次元から三次元へ視知覚世界が変換されるために不可欠な両眼視差,輻輳による対象との距離,位置関係における立体再現が,ヘッドマウントディスプレイを用いるために奥行知覚が成立しないという指摘です(眼に映る景色と眼球の距離感が近すぎる).

奥行知覚は,ヒトが系統発生的に直立二足歩行を獲得してきた以前の樹上生活において,
三次元不連続空間(不連続な樹上空間環境)である木から木へと渡り歩くために発達してきたと考えられています.
その時代の初期猿人は,
700万年前に生存していたサヘラントロホプウス・チャデンシスから,
600万年前のオロリン・トゥゲネンシス,
450万年前のアルディピテクス・ラミダス(いわゆるラミダス猿人)へと,
樹上環境を主としながらも地上へ下りるための奥行知覚とともに頭頚部のコントロールを発達させ,400万年前からアウストラロピテクスへと猿人に進化し,
直立二足歩行を完成させてきました.
アウストラロピテクスは道具を最初に使用した猿人のようで,
直立二足歩行や道具使用といったヒトの最大機能の背景には視知覚との密接で相互な関係がわかります.

話がそれましたが,
奥行知覚は移動行動における手がかりの一つであり,視知覚と身体運動に整合性を見出します.
本来,視覚性運動制御は後頭葉から頭頂葉へ向かう背側経路に関連する周辺視野情報が役立っており,自己の移動を特定する情報を担っています.
しかし,VR空間では後頭葉から側頭葉に向かう腹側経路を中心とした視覚性運動制御が優位となり,実空間での姿勢運動制御とは異なる可能性があるようです.

体性感覚系

もう一つの情報は,体性感覚系における触-運動覚です.
例えば,操作対象におけるリーチングでは,操作対象に向かう手の構えと実際に操作対象に触れた際の接触情報が,一連の行為の遂行や調整に役立っていると知られています.
しかし,VR空間の場合,機械式装置による接触や振動などを付加したとしても,実際の環境世界に対する接触や操作とは異なる可能性があります.

触-運動覚情報は,能動的な探索過程によって知覚されますが,現実空間と異なる知覚世界では操作対象を認識する視知覚情報において,運動制御との関係性を繋ぐための情報処理に関わる背側経路の関与が優位になる可能性が指摘されています.
そのため,VR空間の特性そのものが現実世界における現実空間での運動制御との差異を引き出してしまう可能性があるようです.

これらの指摘を整理すると,
現実世界における現実空間とVR空間でおこなう身体運動は,一見同じような動作パターンで運動が現れているかのようですが,中枢神経系の情報処理過程や環境がもつ固有の知覚情報の抽出過程は異なるものと考えられます.
ただし,VR研究は盛り上がっておりますので,VR導入にはコストの問題も含め,今後の動向には注目しております.

個人的に思うこと...

VRで治療成績の改善が認められている視床痛や痺れの発生は,脳卒中発症後にしばらく経過してからもしくは,社会的背景にはお仕事勤めを終えられた方に多いような印象があります(個人的にそのような方々にお会いしたからかもしれません).
発症から長い経過を辿った方では,いつも麻痺側の手の痺れが気になってと悩まされていた方が,自ら自発的に庭の手入れをおこなうことを選択し,日常の課題として遂行が維持されるようになると,意識がその課題に方向付けられて,手の痺れが忘れていたという話も伺ったことがあります.

社会的背景についてはあくまで印象レベルですが,なんらかの日常課題を遂行し達成している持続的な環境との相互交流において,対象者の志向性,能動的で探索的な焦点化は,ある意味では没入感とも思えます.
臨床では,見かけ上の運動ではなく,課題に入り込める(付き合える)没入感の要素は,報酬系に基づいて行為が自己組織化される可能性があると考えています.

課題に入り込むといえば,前回の記事(お絵描き)の内容に関連していますので,合わせて読んでいただけたら幸いです.
本日もお付き合い,ありがとうございました.

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