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心赴くままのアウトプット

暑くなってきた。

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マスク常着用が不動の日常になってきたこの時期に、本格的な暑さ。

参ってしまいそうになる。

だけど、毎日変わらずに朝が来ると
「あぁ沈んでるのって人間だけ、というか自分だけなのか」
なんて思ったりもする。

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先日、親戚から夏用のマスクが届いた。
いわゆる、おすそわけというやつである。

試しにつけてみたら、なんということか。

ものすごくキツい。

マスクが小さい?
いや、完全に自分の顔が大きいのだ。

誰しもが人生に一度は目にしたことのあるような、あのシンバルを元気よく胸の前で叩く猿のおもちゃみたいな、耳の角度になったのである。

衝撃と、送り主に対する根拠のない後ろめたさ。

おそらく使いこなせないだろうけど、ひとまず「本当にありがとう。」と返信する。
そしてすぐに現実に引き戻される。

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そんなこんなで、毎日が過ぎていく。

最近は自分が思っているような形で物事が進まないことが多く、鬱々としてしまっている。

単なる職探しなのだが、世間では就活という名の大衆的なイベントとして広く知られているアレである。

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自分自身の力不足や、そもそもの人間的な魅力の無さが、あれやこれやという結果を目の前に引き連れてくることは、他人に言われるまでもなく、自分が一番よくわかっている。

実感している。
痛感している。

だからこそ、納得もできないし、諦めきれないのだ。

諦めきれていない時点で、やはり自分は自分に対して正常な期待を抱き、根拠のない夢を無意識的に押し付けているのだと、どこか傍観者めいた気分で自覚した。

そして、そういった希望を孕んだ一種の前向きな思考が、いや~な白昼夢を自己暗示的に見させる原因となっている。

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ふと意識を向けると、両目のまわりに抱えきれないほどの水の袋を感じる。

それらは、一部分が肌と直に触れ合っており、残りの大半はフワフワと空気中に漂っている。

ちょっとした躓きや、なんてことはない一言でその袋は一気に破裂する。

そうなることを避けるように過ごすうち、何だか自分が当初思い描いていた近未来や、目指していた場所からは随分と遠いところに来てしまった気がする。

それは自分が顔を下に向けて歩いていたせいなのか、そもそも歩く方向を見間違えていたからなのか、もはやわからないし、悲しいかな、考える気力も今はない。

日々、最低限の衣食住を全うするのみ。

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そんな中、このような至上最低な気分を物や人に当て付けるのではなく、自分の好きな「何かを創作すること」に落とし込む、置換しようと考えた。

備忘録の意味合いも兼ねている。

はて、何を作ろうか、書こうかと悩んだときに、頭に思い浮かんだのは、以前に東京都庭園美術館で目にした岡上淑子氏のコラージュ作品である。

レディメイド且つシュルレアリスムな感じが自分の感性にフィットしたときの恍惚とした幸福感を想起した。

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すぐさま、近くにあった雑誌類からビビッときた写真・イラスト類をカッターとハサミで躊躇なく切り取り、心の赴くままにコラージュを実践してみた。

空白が気になった部分に関しては、カラーペンと黒の細ボールペンで気が済むまで描き込んだ。

作業にあたっていた時間中は、他の物事を脳内から一時強制退出させることに成功し、純粋に何かに没頭することの楽しさを実感できた。

脳をフルに使っているようで、気持ちはとてもリラックスしていたのである。

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数時間が経過し、全体像を離れた位置から眺めてみると、これまた凡人のお遊びの成果物にすぎないような、よくわからないモノが出来上がっていた。

しかし、これでも自分としては大満足だ。

誰も敵対心剥き出しの文句を言ったり、必要のないちゃちゃを入れたりしてこないだけ、天国である。

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「他の奴は関係ない」
「他人からの評価を気にしなくていい」
「ひとまず、自分と目の前のモノだけを意識していればよい」

それがどんなに快適なことかと、心底驚いた。

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ここでふと思いついたのだが、
このコラージュは『ミッケ!』もどきになれるのではないだろうか?

以下のモノたちは、その語が意味する対象そのものの姿かもしれないし、単にその言葉自体が画像として組み込まれているだけかもしれない。

まず、上記のコラージュに関して。

ベルばら。フォントが好き。逆さまでも、その存在感は衰えない。
トム・ハンクス。『Forrest Gump』いいよね。コロナから回復した後に、少年にタイプライターをプレゼントしたという話にジェントルマンな感じを覚えた。
渋谷センター街。みんな近くを通ることはあっても、ちゃんと目線を上にして、この看板的なものを目に止めることはしないだろう。
コインラインドリー。ホットドッグに一部が隠されている。
ラジオを聴く2人。学生同士の何ともいえない距離感が堪らない。
分厚いハンバーガー。これ食べたら絶対に美味しいでしょ。
暗黒舞踏。白塗りで異様な蠢き方をする集団には心を奪われる。人間の生命的な動きを感じる。
『心』。言わずと知れた夏目漱石氏の。これは、祖父江慎さんのブックデザインなのでより思い入れが強くなる。
『100万回生きたねこ』。小学校低学年の頃、この本をクラス全員でパート分けして暗唱&発表したことがある。子どもの時と今読み直すのとでは、印象が大きく異なるんだろうな。
とある大学の講堂の入り口付近にある小窓(?)。ピンとくる人には、わかるのだろう。
エセくまもん。小さいけど、自分は本家よりもこっちの方が人間味があってお気に入り。
?のバッグ。デザインが素敵。人生は「!」よりも、ほんの少し多い「?」で溢れていると思う。どうだろう。人によるかも。
チャップリン。ひょっこり。ひょっこり。

続いて、下のコラージュの『ミッケ!』もどきヒントは画像下へ。

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ヤクルトの帽子。自分は野球に疎いが、青りんごに被せてみたら予想以上にフィットした。コラージュ内での話です。
Christian Louboutinのハイヒール。裏が赤いヒールを履いている方を見ると、こっちは怖気づいてしまう。だけど、本人にも、靴にも責任はない。はず。
下半身アリス。変な意味じゃありません。文字通り、下半身だけのアリス。どこへ向かおうとしているのか?
蝙蝠傘。黒い。凝った持ち手。マントとハットが似合いそう。
レコード。村上春樹がよく聴いていそうなメディア。まぁ実際よく聴いておられるんだと思う。実物を1つも持っていないと言ったら、20代の編集者にめちゃめちゃ驚かれた記憶がある。広い持ち家を買えたら、沢山買い込みたい。前に、吉田篤弘さんの『針がとぶ』を読んで、レコードへの興味がぐんと増した。
『モモ』。時間泥棒。ミヒャエル・エンデ。コラージュ内には2つ隠れてます。
時計。4つ。時間は生活を便利にしてくれるけれど、一方で人間はそれに縛られ過ぎている気がしてならない。この世からあらゆる数字とあらゆる針が無くなってしまったらそれはそれで大変なのだけれど、そういう世界で少しの期間のびのびと日々を過ごしてみたいのも事実。どうでもいいけれど、Tiffanyのイースト ウエストという時計の佇まいがとても好き。文字盤の向きがいわゆる普通の時計とは少し違うから、どう覗き込んだらいいのか迷いそう。捕らぬ狸の皮算用だ。


それにしても暑い。


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