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そのまちづくり、外に”恩還し”ができていますか?その2

大学ではサービスラーニングをやったり、新規案件を立ち上げたり、また個人的にもまちづくりプロジェクトの1つとして学生団体を6〜7年見続けていたりと、「学生」と「地域」をつなぐブリッジとなることが多くあります。

教育指導要領などでも「地域に開かれた学校」というキーワードが謳われているように、昨今、生徒や学生を地域社会とつなげる活動が盛んになっています。一種のブームのような。

もちろん子どもたちとしては、地域に出る、地域の人たちと関わることは学校内で学べないことを多々肌で感じるチャンスが多く、とても有意義な流れだと感じます。

僕自身も普段の生活ではあまり接することのできないある種”変な”大人との触れ合いから様々な価値観を学びましたし、狭くなりがちな生き方のロールモデルを広げるきっかけにもなりました。

こういう経験が若い頃からできるのは、これから変化が激しくなり、これまでの常識がこれからの常識ではなくなる世の中にとって、視野を広げたり、考え方を柔軟にしたりと、メリットがたくさんあると感じます(そのためにかかる労力と天秤にかけても)。

だからこそ、個人的なプロジェクトとして数年も学生団体の運営に関わっているのもありますし、サービスラーニングとして学生たちを地域と関わらせる活動に従事しているのです。

その過程でたくさんの地域の活動家のみなさん、住民のみなさんにはお忙しい中(自分たちでやった方がはるかに良いこともあるのに)ご協力をいただいています。正直とてもありがたいと感じます。

もちろん受け入れてくれる側にも何かしらのメリットはあるのですが。ただ問題なのはこの”何かしらのメリット”の部分が、あからさまに「マンパワー」として、であることが少なからずあります。

受け入れ側にも色々な思惑はあるのでしょうか、送り出す側とすると、これはあまり芳しくない。なぜならば、先述したような、有意義な活動、深い学びが得られる場になるには、従事者(子どもたち)にとって、そのような気づきが得られる仕組みが多少なりとも考慮されているかどうか、がとても大きな部分だからです。

例えば、この企画はなんのためにやっているのか(目的が明確)、そのために自分たちはどのように貢献できているのか(自分たちの役割)、そこでの行動が普段の生活に活かせるような気づきを与えられているのか(内省化)などなど、大事な視点は多々あります。

なので、ただ単に、ここにある荷物をあっちに運ぶ、みたいな単純作業だけだと何にもとは言いませんが、ほぼ得ることは無い。こういうただ単にマンパワーとして派遣してほしい(と見える)案件(少なからずあります)はお受けしません。

こういう時、良く出るワードが”やりがい”。

でもそれって少し前に流行った”やりがい搾取”ってやつです。
こういう人に言いたい。バイトを雇ってください。

子どもたちをタダで使えるマンパワーとして見ないでほしい。
自分たちの活動に巻き込むなら、彼らにも学びという対価を与えられるような場を作ってほしいです(自戒を込めて)。


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