子供に将来どうなって欲しいか?という親のエゴについて考えた話

最近夫と子供の将来について語り合い、考える機会があったので書こうかなと思います。


親は子供に愛情を注ぎ、たとえそれが間違っていたことをしていたとしてもまた笑顔で寄ってきてくれるのが、子供からの愛であると私は思っています。

私自身自己愛が強かったり、精神的にも未熟で、常識もあまり兼ね備えていなくて、人間関係も上手くいかず、親や家族に思うところも沢山あり…

親として、自分のようになって欲しいと思う人も居れば、自分のようにはなって欲しくないと思う人もいると思います。

私は後者で、自分のような人生を歩んで欲しくないと願っています。


誰にでも後悔の1つや2つはあると思いますが、私はその後悔した瞬間を、ふとした本当に何でもない何も関係ないことをしている時に思い出してそれに囚われたりしていました。

そして、子供にそんな経験はして欲しくないし、それは不要である。

でもそれは親のエゴに過ぎないのだなと感じています。

ではどうしていけばよいのかといえば…それはやり方次第かなと思いました。


後悔はして欲しくないし、順風満帆な人生を送って欲しい。

でも、誰の人生にも後悔があって、したくない経験や失敗が少なからず存在して、いつかは避けては通れない道を通るしかない時も来る。

ならば、もし子供が将来道を外しても、どん底に落ちたとしても、そこから自分で考えて自分の機嫌を取って頼れる時は頼れる人に頼って、自分で嫌な気持ちを消化していかなければならない。

自分がやりたいと思う夢や目標をみつけ、自分が理想とする道にどうやって自分を進めるのか、その方法は本当に1つしかないのか?果たして自分の人生とは何か?再び失敗した時にどのような道を模索すればいいのか。

行動するにあたって失敗は付き物で、失敗した時のパターンも事前に考えて覚悟しておかないと失敗した時のダメージも大きい。

でも、失敗したからといってそれで終わりでないのが人生。

そうやって自分で考えられる力や行動する力を身につけさせてあげることが私に親として子供に出来る事では?と考えました。


結局、いくら親と子供とはいえ違う人間であり、失敗や躓き、悩みが出来た時に何にどう感じてどのような痛みを感じているのか、その全てを理解してあげられるのか?といえばそうではないでしょう。

いつかは反抗期が来て、親には話さないことの方が多くなってくるだろうし、自分から親と距離を置いていくかもしれない。

もしかしたら私がやっている事を、子供からしたら違うでしょそれは。と思うことがあるかもしれない。それを直接言ってくるかもしれないし言わずに心に留めているかもしれない。

将来家族関係が必ず良好であるとも限らない。

大人になり沢山の人と関わりながら自分で生きていくようになる。


だから、こうなって欲しくない、あーなって欲しいと親の決めたレールの上を歩かせるのではなく、興味を持ってくれたものはできる範囲でやらせてあげて、そこから自分で世界を広げて自分の人生を歩んで欲しいなと思う。

たとえ学校で上手くいかなくなったとしても、学校という世界が全てでは無いし、自分の好きなものがあれば学ぼう知ろうという姿勢は失わずに居られるかもしれないし、人間関係を学ぶことも出来るかもしれない。

もちろん、興味のあることをやらせていったからといって全てが上手くいく訳では無いし、世界が広がらないこともあると思うけど笑

それでも、例えば長男はまだ3歳だけども、料理をしている時に食材を触ったり鍋に材料を入れたいと寄ってくる。

正直私の目線からすれば早く料理を終わらせたいし動線上にいるものだから邪魔だ…とか思ってしまうこともあるけど、やりたがったことはやらせてみることにしている。

この興味が料理を覚えるきっかけになるかもしれないから。興味が移り変わっても、いつか再び興味を持った時に些細なことでも覚えていれば、入りとして役に立つかもしれない。

興味を持った今やらせず、大きくなって興味が失った頃にやりなさい。覚えなさい。と言って楽しめるだろうか。覚える気になるだろうか?

料理が出来なくとも生きていけるし、今はコンビニで美味しいお弁当が売ってるし、飲食店も沢山あるし、必ず覚えなさい!とは思わない。

でも、少しでも些細なことでも知識だけでなくやったことがある経験があれば、災害が起きてライフラインや物流が止まり、お金があった所で…となった時生きる力になる。

無理にしなさい!とは思わないけれど、興味を持ったのなら覚えるにはまたとないチャンスだなーと最近よく感じる。

だって、子供の頃強制でやることはしんどかったし辛いことの方が多かったし…なのに興味を持ったことのほとんどをやらせてもらえなかった私からすると、絶対に興味があるうちにやった方が学ぶことも楽しくなるし、いい事づくめじゃない?と思ったり。

育児に正解も不正解もないと思う。

私の過去の経験に思うことがあっても、それは私の人生の話であり、だから他人にあーして欲しかったなんて求めるのは違う話だし、他者は他者の人生を生きている。自分の意見を大事にしつつも妥協点を探して折り合いをつける必要がある。

自分が勉強が出来なかったからと、本人は嫌がってすらいるのに無理に幼児教育を始めるとか、あれをやらせるこれをやらせる。という親のエゴを押し付けるのではなく、本人達のやりたい事を親としてできる範囲で支援し時に注意しながら見守ることが私の思う親としての愛なのかな…?どうなのかしら。

と思った話でした。


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